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ろうそくの火

執筆者の写真: 文と写真 星野 知子|Tomoko Hoshino
文と写真 星野 知子|Tomoko Hoshino
8月11日
読了時間: 5分

更新日:9月7日

ほんの10分ほどの燃焼時間。短いろうそくに火をつけて、仏壇の前で手を合わせる。あたたかい色の炎が息をするように揺らぐ。


火事が恐いので長いろうそくはあきらめ、火が消えるまで部屋を離れないようにしている。


以前、電池式の「揺らぐろうそく」なるものを買ってみた。よくできていて、本物の炎のように微妙に揺れる。これなら安全で一日中つけていられる、とよろこんだものの、結局使わなくなった。蝋(ろう)が減らないのも不自然だが、スイッチひとつであっけなく消えるのがむなしかった。


ろうそくの炎は最後を見届けたい。いつからか、火が消える瞬間を見るのが決まり事になっている。


ほとんど原型がなくなったろうそく。かすかに残った蝋がチラチラと最後の炎を見せて、フッと暗くなる。真鍮の燭台から一筋の煙が立ち上って、おしまいだ。


さよなら……。

誰に言うともなくつぶやいて、私は仏壇の前から立ち上がる。


両親とも他界した。祖父や祖母も思い出の中だ。


ろうそくの炎の揺らいでいる間は、父や母が私に何か伝えているのかな、と思ったりする。8月のお盆が近くなると、きっとお父さんはまだだろうけど、お母さんは気が早いからもう来ているよね、と勝手に決めて、ろうそくに火をともす。ろうそくの炎は、ひととき、亡き人の魂を呼び寄せて心を通わせ、去って行く。安らぎがあり、さびしくもある。


ろうそくの炎は怪しげで謎めいてもいる。子どものころに読んだマンガが忘れられない。


小学校1、2年生のころ、雑誌「少女フレンド」で楳図(うめず)かずおさんの作品が人気だった。中でも「ヘビ少女」は夜トイレに行けないくらい恐かった。でも、強烈に心に残ったのは、地味な短編だ。


あるときから、人の頭の上に炎が見えるようになった女性の話だ。肩越しに振り向くと、長く生きる人の頭の上には大きな炎、命が短い人の頭の上にはか細い炎、その人の寿命が炎になって見えてしまう。私の記憶の中では、炎は人魂(ひとだま)のような、ろうそくの火のような形だった。


結末は覚えていない。ただ、女性が鏡の前で後ろ向きに立ち、振り返って自分の炎を確認しようとするが、どうしてもできないという場面が鮮明に思い出される。


自分の寿命を知るのは恐い。でも知りたい。まだ命というものを実感できない年齢だったが、人にはあらがえない運命があることをなんとなく理解した。私は人混みでそっと肩越しに振り向いてみたものだ。大勢の人たちの頭上に炎が並んでいるかもしれない、と。実は今でも、見えないだけで人はろうそくのように炎を燃やしながら人生を送っているのでは、とふと思うことがある。


ずいぶん前、テレビ番組のロケ中にろうそくの灯りに癒やされたことがあった。


長野県の山間の村だった。農家のお宅で停電になり、撮影がストップ。控え室としてお借りしていた6畳の部屋で待機することになった。


「すみませんねえ、時々あるんですよ、停電。そう長くはないと思いますので」


その家の奥さんが小皿に乗せたろうそくを持ってきてくれた。私とメイクさんは、1本のろうそくを囲んで炎の揺らめきを眺めていた。近くの田んぼからカエルの声がやけに大きく聞こえてくる。カメラの前で思ったようにできなくて、自分にイライラしていたときだった。それが、ろうそくの炎を見ているうちに肩の力が抜け、緊張がゆるんでいった。


「なにか、なごむね」

やわらかな光の中でささやきあった。


30分くらいで天井の蛍光灯がつき、心をリセットして再びカメラの前に立った。あのろうそくの炎を見つめていた時間は特別のひとときだった。


ろうそくの炎には不思議な力が宿っているのではないだろうか。人を悼むときに、ろうそくは欠かせない。様々な国の人が小さな炎を前に祈りを捧げる。思いは同じだ。


風情ある灯籠流しもそのひとつ。生まれ故郷の新潟県長岡市では、毎年8月1日の夜に柿川という小さな川で灯籠流しを行っている。第2次世界大戦の大空襲で大勢の命が失われた場所だ。紙の灯籠に平和を祈願した言葉を書いて、ろうそくに火をつける。揺らぐ炎で文字がささやきはじめる。暗い川に灯籠を浮かべると、ろうそくの炎は私の気持ちを連れて流れていく。しんみりとおだやかな時も流れていった。


長岡市・柿川の灯籠流し(星野知子写す)
長岡市・柿川の灯籠流し(筆者写す)

鎌倉の鶴岡八幡宮で8月に開催される「ぼんぼり祭」は、ろうそくの炎の力とやさしさに包まれる。


鎌倉にゆかりのある人たちがぼんぼりに書画をしたため奉納する。400ものぼんぼりが設置されるが、私もその仲間に入れていただいている。


日没になると、紅白の装束を身につけた巫女さんが、ふたりひと組でぼんぼりに火をともしていく。手のひらで風を避けながら1本ずつろうそくに火をつけ、慎重にぼんぼりの中に入れる。その所作が美しい。奉納させてもらっているひとりとしてはありがたいという気持ちになる。


あたりが暗くなるにつれ、ほんのり色づいていたぼんぼりがくっきり橙色に浮き上がって華やいでくる。


ぼんぼりが並ぶ境内は壮観だ。ひとつひとつの個性あふれる作品がろうそくの灯りでエネルギーを放っている。訪れた大勢の人々の顔はぼんぼりに照らされて晴れやかだ。


でも賑やかな夏祭りとは違う。境内にはしみじみとした思いが広がっている。自然に祈りたくなるような――。歴史と文化を大切にする鎌倉らしい催しだ。


ろうそくは身近なようで、普段よく使うわけではない。もっとろうそくの炎と親しもうと思う。自分の心の安らぎのために、人を悼む心を大切にするために。


2026 © Hoshino Tomoko

星野知子が描いた�カタツムリのイラスト

Maison d’un Limaçon

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カタツムリのイラストは星野知子の作品です。
© 2026 Hoshino Tomoko 星野知子™

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