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  • 星野知子|俳優・エッセイスト|公式ホームページ|著書

    俳優・エッセイストの星野知子が、作家デビューして以降これまでに執筆したノンフィクション作品や、自伝的なエッセイ、国内外での紀行文、フランスやオランダの絵画・美術館をめぐるエッセイなど、日本国内で出版された著書の全作品を刊行年代別に紹介する。 著作紹介 鎌倉の家で執筆する星野知子 2023年 敬文舎 星野知子の鎌倉四季だより 鎌倉の風土、自然、花、鳥、人々との触れ合いを、温かな眼差しで感性豊かに描き出す。地元に暮らす星野知子が、美しい日本語で感性豊かに紡ぐ、日本の古都をめぐる四季折々のダイアリー。 出版社ホームページ 2012年 平凡社 フェルメール夢想空想美術館 オランダの画家フェルメールをめぐるエッセイ第2弾。珠玉の名作から聞こえる会話に耳を傾け、空想をふくらませた15の物語。星野知子がいざなう驚きの世界へようこそ。装丁デザイン・大林眞理子。 出版社ホームページ 2015年 講談社 今を生きる『武士の娘』 明治時代の越後長岡からニューヨークへ。100年前の米国でベストセラー作家となった家老の娘、杉本鉞子の生涯を同郷の星野知子が読み解く。NHKドラマ「鉞子とフローレンス」同時出版。 出版社ホームページ 2006年 小学館 ふる里へ 星野知子の詩文と黒井健さんの絵画で、ふる里新潟の四季を描いた郷愁あふれる絵本。2004年に起きた中越地震からの復興支援のために企画された。第25回赤い靴児童文化大賞受賞。装画・黒井健。 在庫切れ 鎌倉四季だより・武士の娘 夢想空想美術館・ふる里へ 2002年 集英社 パリと七つの美術館 芸術の都パリの中でも、個性的な美術館を巡るエッセイ。街の息づかいを感じつつ、ドラクロワ、モロー、ピカソ、ブールデル、ダリなど美の巨匠の隠れ家を星野知子が散策する。オールカラー版、集英社新書。 出版社ホームページ 2000年 小学館 フェルメールとオランダの旅 オランダの至宝フェルメールの作品に惹かれ、オランダへ旅する美術紀行エッセイ。アトリエの光や空気を感じ、神秘的な絵の謎を解く。画家が暮らした街角の探訪も楽しい。日蘭交流100年記念出版。 在庫切れ 2002年 講談社 食べるが勝ち! 純和食派の星野知子が、パラグアイ、インド、シリア、アイスランド、中国青海省の意外な「食」と出会う旅。良い旅は、美味しい食物と同じで後味が残る。食べるとは何かを考える一冊。絵と装丁・南伸坊。 出版社ホームページ 2000年 講談社 星野知子のフォト&エッセイ 旅の写心館 NHK朝の連続ドラマ「なっちゃんの写真館」で、女性写真家を演じた星野知子が、自らカメラを手に世界を旅をする。シャッターを押せば自分の心も写るという。全ページ70点余の撮り下ろしカラー作品を収録。 出版社ホームページ 七つの美術館・食べるが勝ち オランダの旅・旅の写心館 1999年 講談社 子連れババ連れ花のパリ 2児の子連れの妹を訪ね、母を連れてやって来たフランスのパリ。花の都で過ごす優雅な日々、とはいかないのが家族旅行だ。エスプリいっぱいの短い休暇の行方はいかに…。星野知子自ら本の装画を描いた作品。 出版社ホームページ 1994年 講談社 トイレのない旅 住めば都=辺境の地を行く トイレに不自由した土地ほど人間味があって、面白い! 南米のアンデス、ロシアのシベリア、中国雲南省を星野知子が旅して、「トイレのない地」で体験する感動とユーモアあふれる物語。装丁と絵・亀甲健。 出版社ホームページ 1997年 集英社 デンデン虫がふりむけば 世界を旅した女優がつづる普段着での暮らしと、多忙な仕事の舞台裏。やさしい眼差しで見つめる、人々との出会いの日々。手書きイラストを添えたエッセイ集。第17回日本文芸大賞受賞。装画・石川哲司。 出版社ホームページ 1990年 テレビ朝日 濁流に乗って 欲望の大河アマゾン 驚きの自然現象と未知の人々との出会いを求め、星野知子が大河アマゾンの濁流を遡る旅。ジャングルでの暮らし、先住民との交流。TV取材で滞在した50日間の記録を書き下ろした、エッセイストデビュー作。 在庫切れ 花のパリ・デンデン虫 トイレのない旅・濁流に乗って 文庫へ > 試し読み>本の表紙をクリック>講談社BOOK倶楽部の電子書籍サイトへ 星野知子の世界旅3部作 電子書籍 星野知子の 「新 鎌倉その日その日」 最新エッセイ 星野知子の 「新 鎌倉その日その日」 最新エッセイ 星野知子の 「新 鎌倉その日その日」 最新エッセイ 星野知子の 「新 鎌倉その日その日」 最新エッセイ

  • 星野知子公式ホームページ

    俳優・エッセイスト、星野知子公式ホームページ 。映画・ドラマ・ドキュメンタリーへの出演歴、音楽番組の司会・ニュースキャスターの出演歴のほか、著作物を一覧するデータベースを収録。ポートレート、最新エッセイ、自ら撮影した写真作品等も掲載する。 星野 知子 俳優 45周年 エッセイスト 35周年 2025年 公式サイト 1980年 プロフィール 星野知子 2025年近影 撮影 山田ミユキ お知らせ 鎌倉駅アナウンスに協力 2026年1月、鎌倉市国際観光親善大使の星野知子が、JR鎌倉駅の構内アナウンス「マナーアップリレー」に協力します。オーバーツーリズム(観光公害)対策のため、鎌倉ゆかりの人たちが月替わりでマナーの向上を呼びかけるプロジェクトです。 星野知子による駅構内アナウンスは、元日から1月いっぱい日中45分おきに放送されます。ぜひ耳を澄ませてみてください。 朝日新聞のマリオン(芸能・映画)欄「私の描くグッとムービー」(2025年11月14日金曜夕刊3面)に、星野知子のインタビューと自身で描いたアートワークが掲載されています。 フェルメールの絵から着想された映画『真珠の首飾りの少女』(ピーター・ウェーバー監督)を取り上げ、モデルの少女グリートの心理と、フェルメール芸術の光と陰影の心象世界を探ります。この映画からイメージした星野知子の自筆イラスト画もお楽しみください。 朝日新聞・私の描くグッとムービーへ > 河井継之助記念館 開館19周年記念講演会 司馬遼太郎の小説『峠』で知られる越後長岡藩の家老河井継之助と、同じく筆頭家老であった稲垣平助の娘、杉本鉞子の生涯をテーマに、星野知子の講演会「杉本鉞(えつ)子と武士の長岡」が開催されます。戊辰戦争で敗北した長岡から渡米し、やがて全米ベストセラーとなる『武士の娘』を英語で書き著した杉本の生き方から、長岡に受け継がれる武家の精神風土を語ります。 関連情報 ☞ 日時:2025年12月14日(日)13時30分〜 会場:長岡グランドホテル 悠久の間 定員:400名 入場無料 申込受付:11月12日〜11月30日 *満席・締め切りました 申込先:河井継之助記念館 電話0258-30-1525 河井継之助記念館ホームページへ > 19周年記念講演会フライヤー > 第14回 戦争の記憶と記録を語り継ぐ映画祭 - 戦後80年の重み - 9度の特攻作戦から生還した兵士のドキュメンタリー映画「ラストメッセージ〝不死身の特攻兵〟佐々木友次伍長」が上映され、星野知子と上松道夫監督によるトークイベントが開催されます。 東京・池袋 新文芸坐 2025年8月4日 詳しくは、主催者ホームページへ > *終了しました 第18回 ながおか平和フォーラム 長岡空襲80年 記念講演 / 朗読 太平洋戦争末期、1945年8月1日の長岡空襲を体験した女性の手記を星野知子が朗読し、つづいて追悼と平和への願いを込め「希望をつなぐ。この長岡から」と題して講演します。 新潟県長岡市 アオーレ長岡 2025年8月1日 平和フォーラムフライヤー > *終了しました 新刊・著作のご案内 全作品を見る > 星野知子のエッセイ『たばこ』(新・鎌倉その日その日掲載)が、日本文藝家協会の選ぶ『ベスト・エッセイ2025』に収録されました。 なにげない暮らしの風景の中から、戦争にまつわる家族の重い記憶をたどり、平和への祈りが綴られています。      2025年8月5日 光村図書 刊 詳細は、出版社ホームページへ > 読売新聞の1面コラム「編集手帳」(2025年7月15日付朝刊)に、星野知子のエッセイ『花火と私』(新・鎌倉その日その日=7月号掲載)が紹介されています。 線香花火が呼び覚ます幼少期の思い出と、繊細な花火から連想する切ない気持ちをめぐるショートエッセイ。公式ホームページでも、この作品をお読みいただけます。 花火と私 > 出版社ホームページへ > 出版社特設サイトへ > 星野知子初のファンタジー小説 『フィヲラの夜』掲載 三木卓追悼号 収録 星野知子 『鎌倉その日その日の30年』 *『詩とファンタジー』は、やなせたかしさんによって創刊された、現在では数少ない文芸詩誌です。 出版社ホームページへ > 試し読み>本の表紙をクリック>講談社BOOK倶楽部の電子書籍サイトへ 世界をめぐる旅の3部作 電子書籍 星野知子の 新 鎌倉その日その日 エッセイを読む > 「ササリンドウ」 あら、こんなところにセーラームーンが——。足元で愛らしいアニメの主人公が笑っていた。 東京の麻布十番商店街入り口で、カラフルなマンホールの蓋を見つけた。1990年代に一世を風靡(ふうび)した「美少女戦士セーラームーン」。金髪をなびかせ得意のポーズで決めている。ポスターのように色鮮やかだから、踏むのは気が引ける。道行く人たちもマンホールをよけて歩いていた。 その土地に縁のあるキャラクターや名産品が描かれた「ご当地マンホール」が、今人気だ。地域の特徴を表し、宣伝にもなる。今年は大谷翔平選手のデザインマンホールが出身地の奥州市に設置されて話題になった。各地でお目当ての蓋を探したり、お気に入りのデザインを見つけたり、密かな町歩きの楽しみになっているようだ。 普段、気にとめずに歩いているが、マンホールは驚くほどたくさんある。自宅の玄関を出て100メートル足らずで25個を数えた。等間隔ではなく道のあちこちに散らばる丸い蓋は、美観をそこねているようで、アートにも見えてくる。蓋のデザインも様々だ。 鎌倉の絵柄で多いのは鎌倉市章のササリンドウだ。3つの花の下に5枚 11月14日 「中秋の名月」 鎌倉・由比ヶ浜から見る中秋の名月(星野知子撮影) スーパームーンにブルームーン、ブラッドムーンも。最近よく耳にする満月の呼び名だ。スーパームーンは、軌道の関係で月が最も地球に近づいたときの大きな満月。ブルームーンは色ではなく、月に2回満月があることだそうだ。そして皆既月食で月が赤黒くなる現象がブラッドムーン。色も形も変化する月の神秘は、科学で解明された今もやはりミステリアスだ。 今年の中秋の名月は10月6日。澄んだ秋の空を昇る満月は格別だ。夜のニュースで「今日は中秋の名月です」と紹介されて、テレビ画面一杯にまん丸の月が映し出される。カメラレンズもテレビも性能がいいから、月はすぐ目の前にあるようにはっきり見える。岩石でできた複雑な地形も、クレーターのデコボコも。 きれいなんだけどね……、と私はベランダに出て、夜空を見上げる。そう、これが満月。はるか遠く、ぽってりあたたかい。年齢とともに私の目も悪くなっているから、多少おぼろに見えるくらいがちょうどいい。 鎌倉は月が美しい。都心から越してきて月をよく眺めるようになった。高い建物がなく山と海に囲まれた鎌 10月19日 「米賛歌」 そういえば「えの田(でん)」はいつなくなったのだろう? 江ノ電の鎌倉駅、到着ホーム脇に小さな田んぼがあった。畳数枚くらいの大きさで、たしか古代米を作っていた。愛嬌のある案山子(かかし)が立っていて、電車から降りるたびに稲の成長を見るのが楽しみだった。刈り取った稲は天日干しで... 9月20日 1 2 3 4 5 日本藝術院会員の三木卓さんが『かまくら春秋 』に執筆された「鎌倉その日その日」を引き継ぎ、2024年1月から星野知子がエッセイを連載しています。かまくら春秋社の許諾を得て掲載します。 星野知子が写す世界の旅 ユーラシア・アフリカ・南北アメリカ 4大陸を巡るフォトギャラリー ギャラリー 星野知子の出演・著作データベース 映画 / ドラマ / ドキュメンタリー プレゼンター / ニュースキャスター/ コマーシャル 著作・書籍出版 / 新聞・雑誌連載 閲覧 歩み エピソード

  • 星野知子|世界の旅〜街|写真作品|俳優・エッセイスト|俳優デビュー45周年|エッセイストデビュー35周年星野知子|俳優・エッセイスト|公式ホームページ|ギャラリー|街

    俳優・エッセイストだけでなく、フォトグラファーとしても写真を発表する星野知子が、世界を旅して自らカメラに収めた作品を掲載。日本、欧州、中東アジア、南北アメリカの50カ国以上で撮影された写真から、多様な人々の暮らしと街角を写した作品を紹介。 街  Photographed by Hoshino Tomoko ギャラリー「ひと」へ > 試し読み>本の表紙をクリック>講談社BOOK倶楽部の電子書籍サイトへ 星野知子の世界旅3部作 電子書籍

  • 星野知子|俳優・エッセイスト|公式ホームページ|ギャラリー

    俳優・エッセイストだけでなく、フォトグラファーとして写真を発表している星野知子が、世界を旅して自らカメラに収めた作品を掲載。日本、欧州、中東アジア、南北アメリカの50カ国以上で撮影された作品から、街・人・大地・日本のテーマごとに紹介する。 星野知子が写す 世界の旅 Photographed by Hoshino Tomoko Glaciers flowing into the sea, Iceland Fairy troll rocks, Iceland Sunset over the North Atlantic Ocean, Iceland Water mirror, India's Taj Mahal Praying men, India Selling a street snack Panipuri, India Scars of war, Croatia Plitvice lakes, Croatia People of the desert, Egypt Market in Marrakech, Morocco Palmyra ruins, Syria Tibetan boy with smile, Qinghai Province, China Harvest season; children of the universe, Bhutan Mother and Child, Bhutan Floating dweller in Halong Bay, Vietnam Frozen lake, Reykjavik, Iceland Countryside in Tuscany, Italy Neuschwanstein castle, Germany's romantic road Trinidad ruins, Paraguay Rainbow from Iguazu, Argentina A forest shrouded in morning mist in Hiraizumi, Iwate An old house in autumn, Hiraizumi, Iwate Garden of pure Land, Chusonji Temple in Hiraizumi ギャラリー「街」へ >

  • 星野知子|俳優・エッセイスト|公式ホームページ|司会・キャスター|出演データベース

    俳優・エッセイストの星野知子が、これまでに出演したテレビの音楽番組やクラシックコンサートでの司会歴や、ニュースキャスターとしての経歴、政府や報道機関主催の各種シンポジウム、テレビCMへの出演歴などについて、年代別に収録した出演データベース。 出演データベース 司会・キャスター・パネリスト / 広告 下線の番組IDをクリック>公益財団法人放送ライブラリーで参照 司会者・キャスター・講演他 ・ ミュージックフェア(1982年-1988年、フジテレビ)第4代司会者、放送ライブラリー 番組ID: 004476 / 番組ID: 004476 ・ 日本歌謡大賞(1980年-1982年・1984年-1987年、フジテレビ・日本テレビ・テレビ朝日・テレビ東京)女性司会者 ・ ニュースシャトル(1987年-1989年、テレビ朝日)メインキャスター ・ 週刊ブックレビュー(2001年-2003年、NHK)司会 ・ 読売新聞「SAVE THE EARTH 今、私たちにできること」(1991年-1992年、読売新聞社主催)審査員 ・ 朝日新聞万博フォーラム「地球市民時代と日本の文化」(2004年、朝日新聞社主催)パネリスト ・ ウィーン・フォルクスオーパ交響楽団 / サントリーホール ジルヴェスターコンサート(2007年-2010年、サントリーホール主催)司会 ・ 第34回 国民文化祭・にいがた2019 / 第19回 全国障害者芸術・文化祭にいがた大会(2019年、文化庁・新潟県共催)総合司会 ・ 第24回 菜の花忌シンポジウム(2020年、司馬遼太郎記念財団主催)パネリスト ・ 中越大震災20年フォーラム(2024年、長岡市・新潟日報社主催)記念トーク / パネリスト ・ 第18回 ながおか平和フォーラム(2025年、長岡市・同フォーラム実行委員会主催)記念講演「希望をつなぐ。この長岡から」 ・ 第14回 戦争の記憶と記録を語り継ぐ映画祭「戦後80年の重み」(2025年、新文芸坐、御手洗企画)星野知子×上松道夫監督トークイベント ・ 河井継之助記念館19周年記念講演会(2025年、長岡市・同記念館主催)講演「杉本鉞子と武士の長岡」 広告 ・ カルピス株式会社、カルピス(1978年)、ACC東京クリエイティビティアワード / ACC・CMフェスティバル 第18回テ レビフィルムCM部門秀作賞、放送ライブラリー 番組ID: A27402 ・ 日本航空、ジャルパック(1978年)、ACC東京クリエイティビティアワード / ACC・CMフェスティバル 第18回テレビフィルムCM部門秀作賞、放送ライブラリー 番組ID: A27456 ・ 花王、リーゼ・初代CM(1981年) ・ 三菱自動車工業、三菱・エテルナΣシグマ(1981年) ・ 松下電器産業、ナショナル家電製品(1982年-1985年)、ACC東京クリエイティビティアワード / ACC・CMフェスティバル 第22回テレビフィルムCM部門秀作賞、放送ライブラリー 番組ID: A25292 / 番組ID: A25355 ・ サントリーウエルネス、F.A.G.E.エファージュ(2010-2022年) * 星野知子の出演はほかにも多数あります。 書籍・出版物へ > リンク ・ [星野知子 公式ホームページ ] - 星野知子オフィシャルサイト ・ [星野知子の鎌倉四季だより ] - 敬文舎 特設サイト ・ [ 星野知子 NHKアーカイブス ] - NHK放送史・俳優 ・ [星野知子 NHKアーカイブス ] - NHK放送史・文学 ・ [ 星野知子の著作・講談社 ] - 講談社 BOOK倶楽部 ・ [星野知子 タレント名鑑 ] - 日本タレント名鑑 ・ [ 星野知子 出演番組CM ] - 公益財団法人 放送番組センター 放送ライブラリー ・ [星野知子 国立国会図書館デジタルコレクション ] - 国立国会図書館

  • 星野知子|俳優・エッセイスト|公式ホームページ|エピソード

    俳優・エッセイストの星野知子のデビュー作品にまつわる思い出や、これまでに出演したテレビドラマ・映画の評判、音楽番組でのアーティストとの出会い、報道番組・海外ドキュメンタリー番組の制作の舞台裏など、エピソードの数々が写真入りで紹介されている。 エピソード ❖中学生で夢中、渋いドラマ 星野知子が長岡市立南中学校時代に夢中になったのは、当時、TBS系列で放送されたテレビドラマ「木枯し紋次郎」だった。のちに俳優になってから、紋次郎の役を演じた中村敦夫と夫婦役で共演が決まったときに感激したが、実際に会った中村の印象について「素敵なんです。でも普通にしゃべる方で。私はあまりしゃべらないで『あっしにはかかわりがないことで』っていうタイプが好き」 <脚注1> と、小説家の藤田宜永との対談で紋次郎へのあこがれを明かしている。 <脚注1> 藤田宜永著『愛に勝つ 1・2・3(アンドゥトワ)』集英社、2005年 中村敦夫さん(左)との撮影風景 ❖革ジャンで通った高校生 新潟県立長岡高校には、越後長岡藩の藩校崇徳館の遺風があった。山本五十六の出身校でもあり「剛健質樸」の校風で知られた。在学当時、同級生の400人中女子は100人だった。星野知子は、米国の俳優チャールトン・ヘストンに熱をあげるような「生意気な変わり者で、同級生の男子は眼中になかった」 <脚注2> と語っている。その半面、受験校ながら学校行事が盛りだくさんで、文化祭では「女装美人コンテスト」まであった。星野知子は、同級生の男子に背中の開いたワンピースを貸し「(女子の) みんなで化粧も入念にした」ところ優勝、その男子は東大へ進学したという <脚注3> 。高校時代には、長岡市立互尊文庫へ読書に通うことが多かった。司馬遼太郎の小説『峠』で知られる河井継之助記念館の初代館長で、当時は互尊文庫に司書として勤めていた歴史家の稲川明雄は、「長身に黒い革のジャンパーを着て、自転車で図書館へさっそうと通ってくる目立つ女学生だった」と、私服が許された高校時代の星野の印象を回想している。 <脚注2> 朝日新聞社編『新人国記8〜新潟県』朝日新聞社、1985年 <脚注3> 週刊朝日MOOK『司馬遼太郎Ⅱ』(星野知子「私と司馬さん」)朝日新聞出版、2007年 革ジャン デビューから半年、長岡に帰郷したときの同行取材記事(『装苑』1980年10月号) チャールトン・ヘストンさんから星野知子に届けられた写真 ❖始まりは『装苑』から 大学進学で東京暮らしを始めた星野知子にとって、もうひとつの居場所になったのが服飾誌『装苑』だった。『装苑』はファッションデザイナーへの登竜門で、森英恵、コシノジュンコや山本寛斎はじめ第一人者の作品を掲載していた。それだけに当時の編集長の執行雅臣はじめ編集部の目は厳しかった。NHK朝の連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」でヒロインデビューが決まった1980年の『装苑』4月号は、「装苑モデル・星野路子から、女優・星野知子へ」 <脚注4> と題した特集を組んだ。そのなかで執行は、星野との出会いについて「星野路子さんが、初めて文化出版局に姿を見せたのは、’76年夏でした。その日は、装苑モデル審査会が開かれ、審査員たちは、飛び抜けて背の高い、ほおのふっくらとした女子大生に注目しました。最後まで残ったその女子大生は、〝大学には入ったけれど、もう少し自分の可能性を試してみたい〟と明るい瞳でこたえた」と記している。NHKのドラマが放送された1980年4月から番組終了後の12月まで、『装苑』は9号にわたって星野知子を特集し、うち6回の表紙を星野の写真で飾った <脚注5> 。大学の卒業式の様子、ドラマ撮影の合間に星野がつづった日記、ドラマで夫婦を演じた俳優滝田栄との対談や、番組終了後に星野自ら欧州で撮影した写真展まで見開きページの記事を連載し、星野知子の新たな門出を応援してくれた。 <脚注4> 『装苑』文化出版局、1980年4月号 <脚注5> 『装苑』文化出版局、1980年4月・6月・7月・8月・9月・10月号の各表紙 Cover Photo > 装苑 『装苑』フォトグラファー・立木義浩さん(右)による星野知子の撮影 ❖お国言葉とデビュー作 星野知子の俳優デビュー作であるNHK朝の連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」のオーディションの最初は、審査員の前で1分間ほどの短い文章を読むことだった。本人はそつなく読んだつもりでも、発音に新潟弁のアクセントが混じった。「あれじゃちょっとねえと、協議したんだよ」と、あとになって担当プロデューサーから聞かされた。オーディションで次へ進めたのは、「ドラマのセリフは徳島弁だから、まあ大丈夫だろう」という理由だった。星野は自身のエッセイのなかで「もしドラマの舞台が東京や神奈川だったら、きっとわたしの人生は違っていた」と回想した。結局、新潟なまりが抜けないまま徳島弁を猛特訓し、標準語はなおさらあいまいになった <脚注6> という。 <脚注6> 星野知子著「人工音声」(『かまくら春秋』所収)かまくら春秋社、2024年5月 なっちゃんの写真館 夏子(なっちゃん)が最初に登場する台本 寺内小春 脚本・ 星野知子 蔵 ❖徳島は「第二の故郷」 NHK朝の連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」を撮影した徳島県の印象について、星野知子は「開放的な南国の人情に心がなごんだ」という。雪国の新潟出身であることとの対比だけでなく、星野知子が演じた立木香都子の人柄が明るく気丈で性に合っていた。「メロドラマっぽいものより好き。いい女ぶったり、恋に悩んだりするのは分からないし照れる」 <脚注7> と語っている。星野にとって徳島県は「第二の故郷」と、テレビ出演や講演で話してきた。2009年放送のNHK朝の連続テレビ小説「ウェルかめ」では、徳島県を舞台にした作品に再び出演し、主役の倉科カナの成長を見守る敏腕編集者の役を演じている。 <脚注7> 朝日新聞社編『新人国記8~新潟県』朝日新聞社、1985年 ドラマの撮影中、立木香都子さんと ❖サザエさんとドヌーヴ 「なっちゃんの写真館」でのデビュー直後から、星野知子のつぎの出演作が注目されていた <脚注8> 。まもなく、テレビドラマの「サザエさん」と、橋本忍監督の映画「幻の湖」への出演が発表された。1965年に江利チエミが演じてから2代目となるテレビ実写版でのサザエ役は、意外な印象で受けとめられた。映画評論家の内海陽子は「かなり違和感を覚えた」 <脚注9> と回想している。星野本人は、番組制作者から「長谷川町子原作のサザエは八頭身ではつらつとして、古い女性像を変えた。それを演じてほしい」と説明された。内海は、「色気より食い気、と言わんばかりの方針をきっぱり表明する美人女優はおかしく、確かにサザエに向いている」とも。「大人の女優の色香というのは、それがほのめかされるところに漂う」と、星野に異色な魅力を見つけている。カトリーヌ・ドヌーヴの映画「しあわせの雨傘」を引きあいに、「ドヌーヴのとぼけた色香はさすがで、ぜひ星野知子に会得してもらいたい」と書いた。この「サザエさん」では、ドラマ「太陽にほえろ!」の刑事役を降りたばかりの小野寺昭がマスオ役を演じて星野とコンビを組んだ。作家・文化人が登場する演出も好評で、4年間に9本が放映された。 <脚注8> 残間里江子・構成「立木義浩写真館」文藝春秋、1980年7月号 <脚注9> 内海陽子著『女優の肖像 その1』アマゾンキンドル電子版、2019年(秋山庄太郎・撮影 / 内海陽子・文「女優の肖像」改題) サザエさん 星野知子(中央)ほか、遠藤周作さん(左)加藤芳郎さん(右)筒井康隆さん、阿刀田高さん、林真理子さん、市原悦子さん(右)など数多くの作家・名優が出演 サザエの一人二役、文壇バーのマダム ❖ミュージックフェア、出演秘話 星野知子が司会としてフジテレビの看板音楽番組「ミュージックフェア」に初出演したときのゲストは、オリビア・ニュートン=ジョンだった。星野知子は、オリビア・ニュートン=ジョンから「あなた今日が初めてなんでしょう。がんばって!」と励まされたエピソードをエッセイに綴っている。また、番組の常連だった美空ひばりの歌唱を間近に聞いて心揺さぶられたことが一番の思い出と、自著に記した <脚注10> 。身長171センチの星野知子と小柄な美空ひばりとでは20センチ近い差 <注釈1> があり、美空から「あら、また大きな人が来たわねえ」と笑われた経験があった。星野知子は、テレビ画面に映るときに美空ひばりのほうが見上げて話さなければならないことを「心苦しかった」と回想し、できるだけ低い靴を履き地味な服にしていた。「たぶん私はひばりさんに嫌われていた、と思う」ともエッセイに記している <脚注11> 。 番組の音楽監督を務めた作曲家の服部克久は、初めてスタジオで会ったときのイメージをこう書いた。「背のひょろっとした、優しい声の、どうかするとすぐ傷つきそうな、目のクルクルッとした女の子、ふとしたときに見せる、いたずら好きと、人の良さがミックスしたような笑い顔が、とても印象的だった。もしかすると、自分をシッタゲキレイして、浮かべるあのアルカイックな笑顔。ポール・モーリアが、いみじくも言った。『トモコは、優しさと、強さのまじった、女性だね』と」 <脚注12> ——。 <脚注10・11> 星野知子著『デンデン虫がふりむけば』集英社、1997年 <脚注12> 服部克久「僕の女ともだち」ミスター・ハイファッション所収(文化出版局)、1983年夏号 <注釈1> 星野知子の身長は、実際には171センチある。だが、デビュー時の1970~80年代前半には、芸能界でも170センチ以上の「高身長」は不利になるとみられ、プロダクションの判断で当初167センチと公表された。その後、1990年代には170センチまで修正されている。 ミュージックフェア 星野知子(左)が司会者初登場の日、本番前にオリビア・ニュートン=ジョンさん(中央)と 6年間出演した「ミュージックフェア」 ❖辛口コメントに電話殺到 星野知子が1987年に、プライムタイムの19時台に放送されるニュース番組「ニュースシャトル」(1989年4月から18時台に変更)に登場すると、芸能人キャスターの先駆けとして注目を集めた。その半面で、星野は周囲から「女優に戻れなくなる」と大反対されていた <脚注13> 。ただひとり、星野が相談した脚本家・映画監督の橋本忍だけが賛成し、「君の心はとうに決まっているはず、と言われた」と回想している。朝日新聞編集委員だった佐藤国雄は、朝日新聞の『ひと』欄に「さわやかだが、踏ん張ってるという感じも」と当時の印象を書いている <脚注14> 。星野知子本人は、「私の感じたことが、見ている人の心に空気で伝わっていくような、そんなムードが出せれば」と考えていた <脚注15> 。米国とソ連が核兵器を盾に対立した東西冷戦の時代、米ソが大金を出し合って氷河に閉じこめられたクジラを救うという美談ふうの話題に対し、「それだけ協力できるなら、クジラじゃなくて人間を救うために協力すればいいのに。まあ、日本人はクジラを食べる民族ですからね」と辛口なコメントをしたところ、テレビ局へ賛否両論の電話が鳴りやまないこともあった <脚注16> 。 <脚注13> 藤田宜永著『愛に勝つ 1・2・3(アンドゥトワ)』集英社、2005年 <脚注14> 朝日新聞、『ひと』欄「ニュースキャスターもこなす女優」、朝日新聞社、1987年10月 <脚注15> 読売新聞、『この人』欄「素直さと歯切れのよさ」、読売新聞社、 1987年9月26日 <脚注16> 朝日新聞新潟支局編、『新潟よ~望郷とメッセージ』「自分の中にさまざまな自分が」、恒文社、1999年 橋本忍さんと星野知子 「ニュースシャトル」のメインキャスター ❖辣腕プロデューサーが見た星野知子 1987年当時、ドラマ・映画に出突っ張りの星野知子にニュースの素質を見抜いたのが、テレビ朝日の辣腕プロデューサー、一杉丈夫(元全国朝日放送取締役)だった。フジテレビの看板番組「ミュージックフェア」の司会をすでに6年務めて安定感を増した星野知子を、新報道番組「ニュースシャトル」のMCに引き抜いた。一杉丈夫は、萩本欽一が〝視聴率100%男〟と呼ばれた「欽ちゃんのどこまでやるの!」を手がけた制作者。星野知子がなぜ、ニュースなのか? その事情は、星野の著書に一杉丈夫が寄せた解説文 <脚注17> に詳しい。「新しいニュース番組のキャスターとして星野さんに白羽の矢を立てたのは、ある種の風格を既に持っていながら、番組の中ではトチろうが何しようが、慌てず騒がず、それでいて妙な説得力と、何よりも清々しさを持っていたから」と書いている。一方、星野の〝新鮮さ〟に深みを加えたのが、一杉のもとで番組を担った上松道夫(元テレビ朝日取締役)だった。のちに「報道ステーション」を立ち上げた上松と、一杉は、「女優如きにニュースが分かってたまるか」という、社内外のきつい逆風の盾になった。一杉は、ニュースを経てドキュメンタリーに取り組む星野について、「思えばそれは、ニュース番組の中で見せた彼女流のやり方と変わりなく、女優でありながら人前でのパフォーマンスが嫌いで、派手さがやたら要求されるテレビの中にあって、本当の美しさと優しさを見せてくれていると思う」と、一文を寄せた。 <脚注17> 一杉丈夫著「星野知子さんへの片想い」、星野知子著『トイレのない旅』講談社文庫・解説、1997年 ニュースシャトル 「欽ちゃんのどこまでやるの!」に出演した星野知子(左)、萩本欽一さん、真屋順子さん(右) 「ニュースシャトル」のひとこま ❖アマゾンの秘境へ飛びこんだわけ ニュースシャトルが終了した1989年9月、星野知子のもとに、テレビ朝日のネイチャリングスペシャル「濁流に乗って~欲望の大河アマゾン」を制作するため、ブラジルのアマゾン川を50日間にわたってさかのぼる企画が持ちこまれた。再び大胆な転身に周囲は心配したが、「狭いスタジオの中で秒単位の仕事に疲れていたから、魅力的だった」と引き受けた。星野はのちに、アマゾン秘境の先住民族と寝食を共にし、夜の大河の泥水に入って満天の星空と密林にまたたくホタルの群れを見たときに「アマゾンに受け入れられたと思った」と回想している。この番組が放送されると、日本民間放送連盟賞の教養番組最優秀賞をはじめギャラクシー賞奨励賞に選ばれるなど評価は高かったのだが、周りからは「今度は冒険家になってしまうのかとか、いろいろ言われた」 <脚注18> という。 <脚注18> 朝日新聞新潟支局編『新潟よ~望郷とメッセージ』恒文社、1999年 アマゾン アマゾンの執筆取材 / ブラジルで 毎日つけた日記をもとに書いた『濁流に乗って〜欲望の大河アマゾン』の元原稿、350枚の綴り ❖お酒の話 星野知子はさほど、酒をたしなまない。ところが、どうやら〝酒豪〟と思われがちだ。そのせいか、酒についてのエッセイ <注釈2> や、広告・対談を頼まれることがある。星野自身は、こんなふうに書いている。「『それじゃ、お酒は強いでしょう』。私が新潟出身と知ってそういう人は、たいてい自分が飲んべえだ。酒処に生まれ育ったからといってお酒が強いとは限りませんよ。私の場合はお酒の味は好きだが、すぐ眠くなってしまってそれほど量はいただけない」 <脚注19> ——。そもそも星野の父が酒を一滴も飲まず、正月もお屠蘇(とそ)のない家に育った。法政大学に入ってはじめて、学生コンパで〝本物の酔っぱらい〟を見てびっくりしたほどだ。ところが、「そのときは、緊張と恐怖でなんとか平静を保とうとして、かえって『あついは酒に強い』と誤解された」 <注釈3> 。デビュー後の多忙さから飲む機会はめったになかったが、海外ロケだけは例外で、撮影スタッフと毎食同席すると酒が出る。「おつきあいでいろいろ試したりします。その土地の食べ物に合ったお酒が一番おいしい」と、酒より食優先である。 <注釈2>「酒ひと話」読売新聞日曜版、2009年12月-2010年2月連載など多数 <脚注19>「今酔も楽し東西人気店めぐり」週刊文春、1992年2月27日号 / 「人の間に美しい酒」週刊文春、2009年5月 <注釈3>服部克久の「僕の女ともだち」(ミスター・ハイファッション所収、1983 年夏号)は、星野知子をめぐるエッセイ。そのなかで「彼女はあれでなかなか、酒が強いのです。いつか、大阪で、郷ひろみ君も共に、ふぐ屋へ行った時も、ひれ酒を何杯か飲んで、目のふちは、ぽーっと色っぽくはなったものの、どうということはなく、やはり北国の女だなーと思う」とあるのも、なにかの誤解かも。 お酒の話 アカデミー賞 ❖日本アカデミー賞受賞の「演技」 映画「失楽園」への出演によって星野知子が日本アカデミー賞の助演女優賞優秀賞を受賞したあと、小説家の藤田宜永との対談で「失楽園の主人公の妻の役というのはどうだったんですか。あれで賞をお取りになりましたよね」と尋ねられた。星野知子は、「私、どうやら芝居をしていないときがいいらしいんですよ。自分で考えて演技しているときはダメなんです」と明かしている。森田芳光が監督した撮影現場について、「いいのかしらって感じですよね。困ったな、どうしようかなって思っているところをカメラがうまく拾ってくれた。何か自分ではそんな気がするんです」と話した。藤田は「自然体がいいんだ。それはやっぱり演技してることになるんですよ」と返している <脚注20> 。 <脚注20> 藤田宜永著『愛に勝つ 1・2・3(アンドゥトワ)』集英社、2005年 「失楽園」で家族を演じた星野知子(中)役所広司さん(右)木村佳乃さん(左) ❖50歳ぐらいで結婚する気が…… 小説家の藤田宜永が「恋のひみつ、愛のかたち」をテーマに女性芸能人などと恋愛観を語り合った対談で、星野知子の結婚観について「俳優さんはダメ。役者さんとして素敵な人も寡黙な人もいますけど、鏡の前で眉毛を描いたりお化粧したりしているというだけで、もう最初からダメでしたね」と明かした。このとき、結婚は最後までとっておきたいといい、「50 歳ぐらいで結婚する気がする。自分で直感できるの。それで恋の時代は終わって、老後に備える」と語っていた <脚注21> 。2008年5月に結婚したときのインタビューには「50歳になってごく自然に結婚の道が開けました。いまが適齢期」と答えた <脚注22> 。 <脚注21> 藤田宜永著『愛に勝つ 1・2・3(アンドゥトワ)』「茶飲み友だち的結婚への道」、集英社、2005年 <脚注22> AERA アエラ、「50歳の決断・星野知子"いまが適齢期"」、朝日新聞出版、2008年6月9日 *文中、敬称を略して表記しています。 結婚 ポートレート

  • 星野知子|俳優・エッセイスト|公式ホームページ|電子書籍

    俳優・エッセイストの星野知子が、作家デビューして以降これまでに出版された書籍のうち、自伝エッセイや国内外の紀行文など、電子書籍化された著作と、文庫として再出版された著作の全作品を刊行年別に紹介。電子書籍を講読するためのサイトをリンクする。 電子書籍 / 文庫 試し読み>本の表紙をクリック>講談社BOOK倶楽部の電子書籍サイトへ 2005年 講談社文庫 食べるが勝ち! パラグアイ、インド、シリア、アイスランド、中国青海省……星野知子が世界の意外な「食」と出会う旅。楽しい旅は、美味しい食物と同じで後味が残る。食べるとは何かを考える一冊。装画・八木美穂子。 出版社ホームページ 2001年 講談社文庫 子連れババ連れ花のパリ 本書を出して意外な反応が、「いつのまに子持ちに?」や、ババと「パパ?」の勘違い。文庫版でもあえて誤解を怖れず、気取りのない同じタイトルに。疾風の旅行で気づく素顔のフランス。装画・松本孝志。 出版社ホームページ 2002年 講談社文庫 デンデンむしむし晴れ女 後ろをふり向かないというカタツムリが好きな星野知子が、40歳を前に一度だけふり返って書いた本書。文庫化に当たっては、前を向く晴れやかなカタツムリのタイトルに改題、再編成 した。装画・星野知子。 出版社ホームページ 1997年 講談社文庫 トイレのない旅 「女優がトイレ本とは!」。周囲の心配を押し切ったのは、星野知子本人。笑いと涙いっぱいの、ときめきの旅本。テレビ朝日の一杉丈夫氏の解説が出色だ。「旅の苦労編」を加えた文庫版。装画・長谷川義史。 出版社ホームページ 文庫花のパリ・文庫トイレのない旅 文庫食べるが勝ち・文庫デンデン虫 星野知子が写す世界の旅 ユーラシア・アフリカ・南北アメリカ 4大陸を巡るフォトギャラリー ギャラリー カバーフォト 表紙写真 2010 2001 ゆうゆう(2010年8月号) ゆうゆう(2010年8月号)表紙に掲載された星野知子 古美術名品・集(2001年6月号) 古美術名品・集(2001年6月号)表紙に掲載された星野知子 ラ・セーヌ(1988年8月号) ラ・セーヌ(1988年8月号)表紙に掲載された星野知子 家庭画報(1988年2月号) 家庭画報(1988年2月号)表紙に掲載された星野知子 マダム(1985年10月号) マダム(1985年10月号)表紙に掲載された星野知子 家庭画報(1983年9月号) 家庭画報(1983年9月号)表紙に掲載された星野知子 主婦の友(1983年4月号) 主婦の友(1983年4月号)表紙に掲載された星野知子 婦人倶楽部(1982年4月号) 婦人倶楽部(1982年4月号)表紙に掲載された星野知子 家庭画報(1981年5月号) 家庭画報(1981年5月号)表紙に掲載された星野知子 サンデー毎日(1981年1月号) サンデー毎日(1981年1月号)表紙に掲載された星野知子 装苑(1980年10月号) 装苑(1980年10月号)表紙に掲載された星野知子 毎日夫人(1980年10月号) 毎日夫人(1980年10月号)表紙に掲載された星野知子 装苑(1980年4月号) 装苑(1980年4月号)表紙に掲載された星野知子 グラフNHK(1980年4月号) グラフNHK(1980年4月号)表紙に掲載された星野知子 装苑(1977年9月号) 装苑(1977年9月号)表紙に掲載された星野知子 1977 1980 1980 1980 1981 1980 1982 1983 1985 1988 1988 星野知子の 「新 鎌倉その日その日」 最新エッセイ 星野知子の 「新 鎌倉その日その日」 最新エッセイ 星野知子の 「新 鎌倉その日その日」 最新エッセイ 星野知子の 「新 鎌倉その日その日」 最新エッセイ

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    俳優・エッセイストの星野知子が、NHK朝の連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」でデビューして以降、出演した映画・ドラマ・ドキュメンタリー番組のほか、司会者・ニュースキャスターとしての経歴、受賞歴、著作、公職などのプロフィールを紹介している。 プロフィール 経歴 1957年、新潟県長岡市生まれ。法政大学社会学部社会学科卒業。 1980年に、NHK朝の連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」で主演デビュー。主演第2作のドラマ版「サザエさん」(フジテレビ)、東宝50周年記念作映画「幻の湖」(橋本忍監督・脚本)、映画「やがて … 春」(中山節夫監督)など多くのドラマと映画に出演してきた。他方で「ミュージックフェア」(フジテレビ)司会者、「ニュースシャトル」(テレビ朝日)キャスター、「週刊ブックレビュー」(NHK)司会者、シンポジウムでのプレゼンターなど多彩に活動している。故郷との縁から、映画「この空の花 長岡花火物語」(大林宣彦監督・脚本)への出演や、「武士の娘 鉞子とフローレンス」(NHK)の制作に取り組んだ。 1998年、映画「失楽園」(森田芳光監督)で、第21回日本アカデミー賞助演女優賞優秀賞を受賞した。 海外の紀行・ドキュメンタリー番組では、出演と制作を兼ねたプロデューサーとしても幅広く活躍。日本民間放送連盟賞、ギャラクシー賞、放送文化基金賞などが出演作に授与された。 旅や美術の著作を数多く執筆し、写真も自ら撮影する。初作品の『濁流に乗って〜欲望の大河アマゾン』以降、『子連れババ連れ花のパリ』『旅の写心館』『パリと七つの美術館』『フェルメール 夢想空想美術館』など、次々に刊行されている。自伝的エッセイ『デンデン虫がふりむけば』で、第17回日本文芸大賞受賞。絵本『ふる里へ』で、第25回赤い靴児童文化大賞受賞。 文化庁の文化審議会文化財分科会「世界文化遺産特別委員会」委員(2006年−2011年) 国際協力機構(JICA)の「国際協力高校生エッセイコンテスト」審査員長(2008年−) 鎌倉市国際観光親善大使(2017年−) 日本文藝家協会会員 星野知子の出演・著作データベース 映画 / ドラマ / ドキュメンタリー プレゼンター / ニュースキャスター/ コマーシャル 著作・書籍出版 / 新聞・雑誌連載 閲覧 著書 写真集

  • 星野知子 | 世界の旅〜日本|写真作品|俳優・エッセイスト|俳優デビュー45周年|エッセイストデビュー35周年星野知子|俳優・エッセイスト|公式ホームページ|ギャラリー|ふる里

    俳優・エッセイストだけでなく、フォトグラファーとしても写真を発表する星野知子が、世界を旅して自らカメラに収めた作品を掲載。日本はじめヨーロッパ、中東、アジア、南北アメリカまで50カ国以上で撮影された写真のうち、日本の各地で写した作品を紹介。 ふる里  Photographed by Hoshino Tomoko ホームへ戻る > 写真集

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    俳優・エッセイストだけでなく、フォトグラファーとしても写真を発表する星野知子が、世界を旅して自らカメラに収めた作品を掲載。日本、中東アジア、欧州、南北アメリカの50カ国以上で撮影した写真から、多様な民族の暮らしと人の表情を写した作品を紹介。 ひと  Photographed by Hoshino Tomoko ギャラリー「大地」へ > 歩み

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