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  • 星野知子公式ホームページ

    俳優・エッセイスト、星野知子公式ホームページ 。映画・ドラマ・ドキュメンタリーへの出演歴、音楽番組の司会・ニュースキャスターの出演歴のほか、著作物を一覧するデータベースを収録。ポートレート、最新エッセイ、自ら撮影した写真作品等も掲載する。 星野 知子 俳優 45周年 エッセイスト 35周年 2025年 公式サイト 1980年 プロフィールへ > 2025年1月 星野知子 近影 (撮影・山田ミユキ) お知らせ 第14回 戦争の記憶と記録を語り継ぐ映画祭 - 戦後80年の重み - ある兵士のドキュメンタリー映画「ラストメッセージ〝不死身の特攻兵〟佐々木友次伍長」が上映され、星野知子と上松道夫監督によるトークイベントが開催されます。 東京・池袋 新文芸坐 2025年8月4日 詳しくは、主催者ホームページへ > *終了しました 第18回 ながおか平和フォーラム 長岡空襲80年 記念講演 / 朗読 1945年8月1日の長岡空襲を体験した女性の手記を星野知子が朗読し、つづいて「希望をつなぐ。この長岡から」と題して講演します。 新潟県長岡市 アオーレ長岡 2025年8月1日 長岡市ホームページへ > *終了しました 新刊・著作のご案内 全作品を見る > 星野知子のエッセイ『たばこ』(新・鎌倉その日その日掲載)が、日本文藝家協会の選ぶ『ベスト・エッセイ2025』に収録されました。 なにげない暮らしの風景の中から、戦争にまつわる家族の記憶をたどり、平和への祈りが綴られています。      2025年8月5日 光村図書 刊 詳細は、出版社ホームページへ > 読売新聞の1面コラム「編集手帳」(2025年7月15日付朝刊)に、星野知子のエッセイ『花火と私』(新・鎌倉その日その日=7月号掲載)が紹介されています。 線香花火にまつわる幼少期の思い出と、繊細な花火から連想する切ない気持ちをめぐるショートエッセイ。公式ホームページでも、この作品をお読みいただけます。 花火と私 > 初のファンタジー小説 『フィヲラの夜』掲載 出版社ホームページへ > 三木卓追悼号 収録 『鎌倉その日その日の30年』 *『詩とファンタジー』は、やなせたかしさんによって創刊された、現在では数少ない文芸詩誌です。 出版社特設サイトへ > 新 鎌倉その日その日 エッセイを読む > 「うちわの風は」 この夏のはじまりは早かった。六月、梅雨の中休みかと思いきや夏日が続きそのまま真夏の暑さに突入。そしてどうやら残暑厳しく秋の訪れも遅そうだ。いやはや……。 出かけるときには覚悟が必要だ。麦わら帽子と水筒を持参するくらいでは心もとない。冷感マスク、冷感スプレー、冷感タオル……。... 8月17日 「花火と私」 数ある手持ち花火の中で何が好きかと聞かれたら、迷わず線香花火と答える。とはいっても、今は花火をする機会はなく、子どものころの思い出だ。 いつだったか国産の線香花火をいただいて、何十年ぶりに楽しんだ。ずいぶん品質がよくなっていた。橙色の火の玉はふっくら大きくて、飛び散る火花も... 7月18日 「かたつむり」 でんでんむしむし、かたつむり、と歌っても、かたつむりは虫ではありません。貝の仲間。 梅雨時に、濡れた葉っぱをひっくり返す。ツノがきゅっとちぢんでコロンとした殻に身を隠す。子どものころは親しい遊び友だちみたいな存在だった。... 6月21日 1 2 3 4 5 日本藝術院会員の三木卓さんが『かまくら春秋 』に執筆された「鎌倉その日その日」を引き継ぎ、2024年1月から星野知子がエッセイを連載しています。かまくら春秋社の許諾を得て掲載します。 星野知子が写す旅の世界 ユーラシア・アフリカ・南北アメリカ 4大陸を巡るフォトギャラリー ギャラリーを見る >

  • お問い合わせ | 星野知子公式ホームページ

    俳優・エッセイストの星野知子公式ホームページからのお問い合わせに対応する。フォーマットに必要事項を入力のうえ送信する方法のほか、星野知子の出演作品の再利用に関する申請先リンクと、星野知子の著作物の利用に関する申請先リンクを掲載している。 ホームへ戻る >

  • 星野知子|俳優・エッセイスト|公式ホームページ|ギャラリー|ひと

    俳優・エッセイストだけでなく、フォトグラファーとしても写真を発表する星野知子が、世界を旅して自らカメラに収めた作品を掲載。日本、中東アジア、欧州、南北アメリカの50カ国以上で撮影した写真から、多様な民族の暮らしと人の表情を写した作品を紹介。 ひと  Photographed by Hoshino Tomoko ギャラリー「大地」へ >

  • 星野知子|俳優・エッセイスト|公式ホームページ|エピソード

    俳優・エッセイストの星野知子のデビュー作品にまつわる思い出や、これまでに出演したテレビドラマ・映画の評判、音楽番組でのアーティストとの出会い、報道番組・海外ドキュメンタリー番組の制作の舞台裏など、エピソードの数々が写真入りで紹介されている。 エピソード ❖中学生で夢中、渋いドラマ 星野知子が長岡市立南中学校時代に夢中になったのは、当時、TBS系列で放送されたテレビドラマ「木枯し紋次郎」だった。のちに俳優になってから、紋次郎の役を演じた中村敦夫と夫婦役で共演が決まったときに感激したが、実際に会った中村の印象について「素敵なんです。でも普通にしゃべる方で。私はあまりしゃべらないで『あっしにはかかわりがないことで』っていうタイプが好き」 <脚注1> と、小説家の藤田宜永との対談で紋次郎へのあこがれを明かしている。 <脚注1> 藤田宜永著『愛に勝つ 1・2・3(アンドゥトワ)』集英社、2005年 中村敦夫さん(左)との撮影風景 ❖革ジャンで通った高校生 新潟県立長岡高校には、越後長岡藩の藩校崇徳館の遺風があった。山本五十六の出身校でもあり「剛健質樸」の校風で知られた。在学当時、同級生の400人中女子は100人だった。星野知子は、米国の俳優チャールトン・ヘストンに熱をあげるような「生意気な変わり者で、同級生の男子は眼中になかった」 <脚注2> と語っている。その半面、受験校ながら学校行事が盛りだくさんで、文化祭では「女装美人コンテスト」まであった。星野知子は、同級生の男子に背中の開いたワンピースを貸し「(女子の) みんなで化粧も入念にした」ところ優勝、その男子は東大へ進学したという <脚注3> 。高校時代には、長岡市立互尊文庫へ読書に通うことが多かった。当時、互尊文庫に司書として勤めており、のちに河井継之助記念館館長に就任した歴史家の稲川明雄は「長身に黒い革のジャンパーを着て、自転車で図書館へさっそうと通ってくる目立つ女学生だった」と、私服が許された高校時代の星野の印象を回想した。 <脚注2> 朝日新聞社編『新人国記8〜新潟県』朝日新聞社、1985年 <脚注3> 週刊朝日MOOK『司馬遼太郎Ⅱ』(星野知子「私と司馬さん」)朝日新聞出版、2007年 デビューから半年、長岡に帰郷したときの同行取材記事(『装苑』1980年10月号) チャールトン・ヘストンさんから星野知子に届けられた写真 ❖すべての始まりは『装苑』から 大学進学で東京暮らしを始めた星野知子にとって、もうひとつの居場所になったのが服飾誌『装苑』だった。『装苑』はファッションデザイナーへの登竜門で、コシノジュンコや山本寛斎はじめ第一人者の作品を掲載していた。それだけに当時の編集長の執行雅臣はじめ編集部の目は厳しかった。NHK朝の連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」でヒロインデビューが決まった1980年の『装苑』4月号は、「装苑モデル・星野路子から、女優・星野知子へ」 <脚注4> と題した特集を組んだ。そのなかで執行は、星野との出会いについて「星野路子さんが、初めて文化出版局に姿を見せたのは、’76年夏でした。その日は、装苑モデル審査会が開かれ、審査員たちは、飛び抜けて背の高い、ほおのふっくらとした女子大生に注目しました。最後まで残ったその女子大生は、〝大学には入ったけれど、もう少し自分の可能性を試してみたい〟と明るい瞳でこたえた」と記している。NHKのドラマが放送された1980年4月から番組終了後の12月まで、『装苑』は9号にわたって星野知子を特集し、うち6回の表紙を星野の写真で飾った <脚注5> 。大学の卒業式の様子、ドラマ撮影の合間に星野がつづった日記、ドラマで夫婦を演じた俳優滝田栄との対談や、番組終了後に星野自ら欧州で撮影した写真展まで見開きページの記事を連載し、星野知子の新たな門出を応援してくれた。 <脚注4> 『装苑』文化出版局、1980年4月号 <脚注5> 『装苑』文化出版局、1980年4月・6月・7月・8月・9月・10月号の各表紙 『装苑』フォトグラファー・立木義浩さん(右)による星野知子の撮影 ❖お国言葉とデビュー作 星野知子の俳優デビュー作であるNHK朝の連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」のオーディションの最初は、審査員の前で1分間ほどの短い文章を読むことだった。本人はそつなく読んだつもりでも、発音に新潟弁のアクセントが混じった。「あれじゃちょっとねえと、協議したんだよ」と、あとになって担当プロデューサーから聞かされた。オーディションで次へ進めたのは、「ドラマのセリフは徳島弁だから、まあ大丈夫だろう」という理由だった。星野は自身のエッセイのなかで「もしドラマの舞台が東京や神奈川だったら、きっとわたしの人生は違っていた」と回想した。結局、新潟なまりが抜けないまま徳島弁を猛特訓し、標準語はなおさらあいまいになった <脚注6> という。 <脚注6> 星野知子著「人工音声」(『かまくら春秋』所収)かまくら春秋社、2024年5月 夏子(なっちゃん)が最初に登場する台本 寺内小春 脚本・ 星野知子 蔵 ❖徳島は「第二の故郷」 NHK朝の連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」を撮影した徳島県の印象について、星野知子は「開放的な南国の人情に心がなごんだ」という。雪国の新潟出身であることとの対比だけでなく、星野知子が演じた立木香都子の人柄が明るく気丈で性に合っていた。「メロドラマっぽいものより好き。いい女ぶったり、恋に悩んだりするのは分からないし照れる」 <脚注7> と語っている。星野にとって徳島県は「第二の故郷」と、テレビ出演や講演で話してきた。2009年放送のNHK朝の連続テレビ小説「ウェルかめ」では、徳島県を舞台にした作品に再び出演し、主役の倉科カナの成長を見守る敏腕編集者の役を演じている。 <脚注7> 朝日新聞社編『新人国記8~新潟県』朝日新聞社、1985年 ドラマの撮影中、立木香都子さんと ❖サザエさんとドヌーヴ 「なっちゃんの写真館」でのデビュー直後から、星野知子のつぎの出演作が注目されていた <脚注8> 。まもなく、テレビドラマの「サザエさん」と、橋本忍監督の映画「幻の湖」への出演が発表された。1965年に江利チエミが演じてから2代目となるテレビ実写版でのサザエ役は、意外な印象で受けとめられた。映画評論家の内海陽子は「かなり違和感を覚えた」 <脚注9> と回想している。星野本人は、番組制作者から「長谷川町子原作のサザエは八頭身ではつらつとして、古い女性像を変えた。それを演じてほしい」と説明された。内海は、「色気より食い気、と言わんばかりの方針をきっぱり表明する美人女優はおかしく、確かにサザエに向いている」とも。「大人の女優の色香というのは、それがほのめかされるところに漂う」と、星野に異色な魅力を見つけている。カトリーヌ・ドヌーヴの映画「しあわせの雨傘」を引きあいに、「ドヌーヴのとぼけた色香はさすがで、ぜひ星野知子に会得してもらいたい」と書いた。この「サザエさん」では、ドラマ「太陽にほえろ!」の刑事役を降りたばかりの小野寺昭がマスオ役を演じて星野とコンビを組んだ。作家・文化人が登場する演出も好評で、4年間に9本が放映された。 <脚注8> 残間里江子・構成「立木義浩写真館」文藝春秋、1980年7月号 <脚注9> 内海陽子著『女優の肖像 その1』アマゾンキンドル電子版、2019年(秋山庄太郎・撮影 / 内海陽子・文「女優の肖像」改題) 星野知子(中央)ほか、遠藤周作さん(左)加藤芳郎さん、市原悦子さん(右)など多くの作家・俳優が出演 サザエの一人二役、文壇バーのマダム ❖ミュージックフェア、出演秘話 星野知子が司会としてフジテレビの看板音楽番組「ミュージックフェア」に初出演したときのゲストは、オリビア・ニュートン=ジョンだった。星野知子は、オリビア・ニュートン=ジョンから「あなた今日が初めてなんでしょう。がんばって!」と励まされたエピソードをエッセイに綴っている。また、番組の常連だった美空ひばりの歌唱を間近に聞いて心揺さぶられたことが一番の思い出と、自著に記した <脚注10> 。身長171センチの星野知子と小柄な美空ひばりとでは20センチ近い差 <注釈1> があり、美空から「あら、また大きな人が来たわねえ」と笑われた経験があった。星野知子は、テレビ画面に映るときに美空ひばりのほうが見上げて話さなければならないことを「心苦しかった」と回想し、できるだけ低い靴を履き地味な服にしていた。「たぶん私はひばりさんに嫌われていた、と思う」ともエッセイに記している <脚注11> 。 番組の音楽監督を務めた作曲家の服部克久は、初めてスタジオで会ったときのイメージをこう書いた。「背のひょろっとした、優しい声の、どうかするとすぐ傷つきそうな、目のクルクルッとした女の子、ふとしたときに見せる、いたずら好きと、人の良さがミックスしたような笑い顔が、とても印象的だった。もしかすると、自分をシッタゲキレイして、浮かべるあのアルカイックな笑顔。ポール・モーリアが、いみじくも言った。『トモコは、優しさと、強さのまじった、女性だね』と」 <脚注12> ——。 <脚注10・11> 星野知子著『デンデン虫がふりむけば』集英社、1997年 <脚注12> 服部克久「僕の女ともだち」ミスター・ハイファッション所収(文化出版局)、1983年夏号 <注釈1> 星野知子の身長は、実際には171センチある。だが、デビュー時の1970~80年代前半には、芸能界でも170センチ以上の「高身長」は不利になるとみられ、プロダクションの判断で当初167センチと公表された。その後、1990年代には170センチまで修正されている。 星野知子(左)が司会者初登場の日、オリビア・ニュートン=ジョンさん(中央)と 6年間出演した「ミュージックフェア」 ❖辛口コメントに電話殺到 星野知子が1987年に、プライムタイムの19時台に放送されるニュース番組「ニュースシャトル」(1989年4月から18時台に変更)に登場すると、芸能人キャスターの先駆けとして注目を集めた。その半面で、星野は周囲から「女優に戻れなくなる」と大反対されていた <脚注13> 。ただひとり、星野が相談した脚本家・映画監督の橋本忍だけが賛成し、「君の心はとうに決まっているはず、と言われた」と回想している。朝日新聞編集委員だった佐藤国雄は、朝日新聞の『ひと』欄に「さわやかだが、踏ん張ってるという感じも」と当時の印象を書いている <脚注14> 。星野知子本人は、「私の感じたことが、見ている人の心に空気で伝わっていくような、そんなムードが出せれば」と考えていた <脚注15> 。米国とソ連が核兵器を盾に対立した東西冷戦の時代、米ソが大金を出し合って氷河に閉じこめられたクジラを救うという美談ふうの話題に対し、「それだけ協力できるなら、クジラじゃなくて人間を救うために協力すればいいのに。まあ、日本人はクジラを食べる民族ですからね」と辛口なコメントをしたところ、テレビ局へ賛否両論の電話が鳴りやまないこともあった <脚注16> 。 <脚注13> 藤田宜永著『愛に勝つ 1・2・3(アンドゥトワ)』集英社、2005年 <脚注14> 朝日新聞、『ひと』欄「ニュースキャスターもこなす女優」、朝日新聞社、1987年10月 <脚注15> 読売新聞、『この人』欄「素直さと歯切れのよさ」、読売新聞社、 1987年9月26日 <脚注16> 朝日新聞新潟支局編、『新潟よ~望郷とメッセージ』「自分の中にさまざまな自分が」、恒文社、1999年 橋本忍さんと星野知子 「ニュースシャトル」のメインキャスター ❖辣腕プロデューサーが見た星野知子 1987年当時、ドラマ・映画に出突っ張りの星野知子にニュースの素質を見抜いたのが、テレビ朝日の辣腕プロデューサー、一杉丈夫(元全国朝日放送取締役)だった。フジテレビの看板番組「ミュージックフェア」の司会をすでに6年務めて安定感を増した星野知子を、新報道番組「ニュースシャトル」のMCに引き抜いた。一杉丈夫は、萩本欽一が〝視聴率100%男〟と呼ばれた「欽ちゃんのどこまでやるの!」を手がけた制作者。星野知子がなぜ、ニュースなのか? その事情は、星野の著書に一杉丈夫が寄せた解説文 <脚注17> に詳しい。「新しいニュース番組のキャスターとして星野さんに白羽の矢を立てたのは、ある種の風格を既に持っていながら、番組の中ではトチろうが何しようが、慌てず騒がず、それでいて妙な説得力と、何よりも清々しさを持っていたから」と書いている。一方、星野の〝新鮮さ〟に深みを加えたのが、一杉のもとで番組を担った上松道夫(元テレビ朝日取締役)だった。のちに「報道ステーション」を立ち上げた上松と、一杉は、「女優如きにニュースが分かってたまるか」という、社内外のきつい逆風の盾になった。一杉は、ニュースを経てドキュメンタリーに取り組む星野について、「思えばそれは、ニュース番組の中で見せた彼女流のやり方と変わりなく、女優でありながら人前でのパフォーマンスが嫌いで、派手さがやたら要求されるテレビの中にあって、本当の美しさと優しさを見せてくれていると思う」と、一文を寄せた。 <脚注17> 一杉丈夫著「星野知子さんへの片想い」、星野知子著『トイレのない旅』講談社文庫・解説、1997年 「欽ちゃんのどこまでやるの!」に出演した星野知子(左)、萩本欽一さん、真屋順子さん(右) 「ニュースシャトル」のひとこま ❖アマゾンの秘境へ飛びこんだわけ ニュースシャトルが終了した1989年9月、星野知子のもとに、テレビ朝日のネイチャリングスペシャル「濁流に乗って~欲望の大河アマゾン」を制作するため、ブラジルのアマゾン川を50日間にわたってさかのぼる企画が持ちこまれた。再び大胆な転身に周囲は心配したが、「狭いスタジオの中で秒単位の仕事に疲れていたから、魅力的だった」と引き受けた。星野はのちに、アマゾン秘境の先住民族と寝食を共にし、夜の大河の泥水に入って満天の星空と密林にまたたくホタルの群れを見たときに「アマゾンに受け入れられたと思った」と回想している。この番組が放送されると、日本民間放送連盟賞の教養番組最優秀賞をはじめギャラクシー賞奨励賞に選ばれるなど評価は高かったのだが、周りからは「今度は冒険家になってしまうのかとか、いろいろ言われた」 <脚注18> という。 <脚注18> 朝日新聞新潟支局編『新潟よ~望郷とメッセージ』恒文社、1999年 アマゾンの執筆取材 / ブラジルで 毎日つけた日記をもとに書いた『濁流に乗って〜欲望の大河アマゾン』の元原稿、350枚の綴り ❖お酒の話 星野知子はさほど、酒をたしなまない。ところが、どうやら〝酒豪〟と思われがちだ。そのせいか、酒についてのエッセイ <注釈2> や、広告・対談を頼まれることがある。星野自身は、こんなふうに書いている。「『それじゃ、お酒は強いでしょう』。私が新潟出身と知ってそういう人は、たいてい自分が飲んべえだ。酒処に生まれ育ったからといってお酒が強いとは限りませんよ。私の場合はお酒の味は好きだが、すぐ眠くなってしまってそれほど量はいただけない」 <脚注19> ——。そもそも星野の父が酒を一滴も飲まず、正月もお屠蘇(とそ)のない家に育った。法政大学に入ってはじめて、学生コンパで〝本物の酔っぱらい〟を見てびっくりしたほどだ。ところが、「そのときは、緊張と恐怖でなんとか平静を保とうとして、かえって『あついは酒に強い』と誤解された」 <注釈3> 。デビュー後の多忙さから飲む機会はめったになかったが、海外ロケだけは例外で、撮影スタッフと毎食同席すると酒が出る。「おつきあいでいろいろ試したりします。その土地の食べ物に合ったお酒が一番おいしい」と、酒より食優先である。 <注釈2>「酒ひと話」読売新聞日曜版、2009年12月-2010年2月連載など多数 <脚注19>「今酔も楽し東西人気店めぐり」週刊文春、1992年2月27日号 / 「人の間に美しい酒」週刊文春、2009年5月 <注釈3>服部克久の「僕の女ともだち」(ミスター・ハイファッション所収、1983 年夏号)は、星野知子をめぐるエッセイ。そのなかで「彼女はあれでなかなか、酒が強いのです。いつか、大阪で、郷ひろみ君も共に、ふぐ屋へ行った時も、ひれ酒を何杯か飲んで、目のふちは、ぽーっと色っぽくはなったものの、どうということはなく、やはり北国の女だなーと思う」とあるのも、なにかの誤解かも。 ❖日本アカデミー賞受賞の「演技」 映画「失楽園」への出演によって星野知子が日本アカデミー賞の助演女優賞優秀賞を受賞したあと、小説家の藤田宜永との対談で「失楽園の主人公の妻の役というのはどうだったんですか。あれで賞をお取りになりましたよね」と尋ねられた。星野知子は、「私、どうやら芝居をしていないときがいいらしいんですよ。自分で考えて演技しているときはダメなんです」と明かしている。森田芳光が監督した撮影現場について、「いいのかしらって感じですよね。困ったな、どうしようかなって思っているところをカメラがうまく拾ってくれた。何か自分ではそんな気がするんです」と話した。藤田は「自然体がいいんだ。それはやっぱり演技してることになるんですよ」と返している <脚注20> 。 <脚注20> 藤田宜永著『愛に勝つ 1・2・3(アンドゥトワ)』集英社、2005年 「失楽園」で家族を演じた星野知子(中)役所広司さん(右)木村佳乃さん(左) ❖50歳ぐらいで結婚する気が…… 小説家の藤田宜永が「恋のひみつ、愛のかたち」をテーマに女性芸能人などと恋愛観を語り合った対談で、星野知子の結婚観について「俳優さんはダメ。役者さんとして素敵な人も寡黙な人もいますけど、鏡の前で眉毛を描いたりお化粧したりしているというだけで、もう最初からダメでしたね」と明かした。このとき、結婚は最後までとっておきたいといい、「50 歳ぐらいで結婚する気がする。自分で直感できるの。それで恋の時代は終わって、老後に備える」と語っていた <脚注21> 。2008年5月に結婚したときのインタビューには「50歳になってごく自然に結婚の道が開けました。いまが適齢期」と答えた <脚注22> 。 <脚注21> 藤田宜永著『愛に勝つ 1・2・3(アンドゥトワ)』「茶飲み友だち的結婚への道」、集英社、2005年 <脚注22> AERA アエラ、「50歳の決断・星野知子"いまが適齢期"」、朝日新聞出版、2008年6月9日 *文中、敬称を略して表記しています。 ポートレートへ >

  • 星野知子|俳優・エッセイスト|公式ホームページ|映画・ドラマ|出演データベース

    俳優・エッセイストの星野知子が、1980年のNHK朝の連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」で主演デビューして以降、現在までに出演してきたおもな映画とテレビドラマについて、主要な作品の一覧を年代別に収録した星野知子の出演データベース。 出演データベース 映画・ドラマ 下線の番組IDをクリック>公益財団法人放送ライブラリーで参照 映画 ・ 東宝創立50周年記念作品 幻の湖(1982年、東宝、橋本忍監督・脚本)浅井長政の妻お市の侍女みつ役 ・ やがて … 春(1986年、にっかつ児童映画、中山節夫監督)小学校教師の山中美佐子役 ・ にっかつ創立80周年記念作品 落陽(1992年、にっかつ、伴野朗監督)山見三枝子役 ・ 失楽園(1997年、東映、森田芳光監督)久木祥一郎の妻文枝役 ・ 僕達急行 A列車で行こう(2011年、東映、森田芳光監督)日向いなほ役 ・ この空の花 長岡花火物語(2012年、長岡映画製作委員会、大林宣彦監督)野瀬清治郎の娘、野瀬富美子役 ドラマ ・ なっちゃんの写真館(1980年、NHK)主演・西城夏子役、放送ライブラリー 番組ID: 001589 ・ はじめての仲人(1980年、毎日放送) ・ サザエさんスペシャル(1981年、フジテレビ) ・ 午後の旅立ち(1981年、テレビ朝日 / 山田太一脚本) ・ 花嫁の父(1981年、読売テレビ) ・ あこがれベビー(1981年、日本テレビ) ・ おやじの台所(1981年、テレビ朝日) ・ サザエさんスペシャル2(1981年、フジテレビ) ・ はまなすの花が咲いたら(1981年、TBS)、放送ライブラリー 番組ID: 205927 -205950 ・ ひまわりの歌(1981年、TBS) ・ 春一番だョ、サザエさん(1982年、フジテレビ) ・ 花の影(1982年、フジテレビ) ・ 女かじき特急便(1982年、日本テレビ) ・ 秋祭りだよ!サザエさん(19982年、フジテレビ) ・ 銀河テレビ小説 北航路(1982年、NHK) ・ いつもお陽さま家族(1982年-1983年、TBS) ・ サザエさん!年の始めだ出発進行!!(1983年、フジテレビ) ・ 大奥(1983年-1984年、関西テレビ・東映) ・ サザエさん6(1983年、フジテレビ) ・ ゼロの焦点(1983年、TBS / 橋本忍・山田洋次脚本版) ・ 大奥犯科帳(1983年、フジテレビ) ・ サザエさん(1983年、フジテレビ) ・ どっきり天馬先生(1983年、フジテレビ) ・ 長谷川町子スペシャル サザエさん(1984年、フジテレビ) ・ 乳房よ眠れ(1984年、テレビ朝日) ・ ガラスの家の暴力少女(1984年、テレビ朝日) ・ 妻は霧の中で(1984年、テレビ朝日) ・ 銀河テレビ小説 幸福戦争(1984年、NHK) ・ 暴れ九庵(1984年、関西テレビ) ・ サザエさん(1985年、フジテレビ) ・ 誇りの報酬(1985年-1986年、日本テレビ) ・ 赤かぶ検事奮戦記4(1985年-1986年、朝日放送) ・ 裸の大将放浪記18 尾道坂道春の雪(1986年、関西テレビ) ・ サンデー兆治の妻(1986年、テレビ朝日) ・ 顔のない女(1986年、日本テレビ) ・ 狙われたジョギング(1986年、関西テレビ) ・ お葬式戦争'86(1986年、読売テレビ) ・ 嫁姑(1986年、テレビ朝日) ・ 北軽井沢山荘殺人風景(1987年、フジテレビ) ・ 東京-金沢誘惑旅行(1987年、TBS) ・ ピアノに怯える殺人者(1987年、日本テレビ) ・ 嫁姑戦争(1987年、テレビ東京) ・ ホットDOC(1987年、TBS) ・ 蜜の匂い 男と女の間(1987年、関西テレビ) ・ オフィス・ラブ(1988年、TBS) ・ 裁く女(1988年、読売テレビ) ・ やっぱり逸見と猫が好き(1989年、フジテレビ)、放送ライブラリー 番組ID: 010861 ・ 京都・バリ島婚約旅行殺人事件(1990年、テレビ朝日) ・ 天皇陛下の野球チーム(1990年、フジテレビ) ・ いつも一緒にいてほしい(1991年、日本テレビ) ・ 女相撲(1991年、TBS)、放送ライブラリー 番組ID: 004532 ・ 花王愛の劇場 年上でもいいじゃない(1993年、TBS) ・ いちご同盟(1999年、NHK教育) ・ NHKドラマ館 レガッタ〜国際金融戦争(1999年、NHK) ・ ドラマ愛の詩 幻のペンフレンド2001(2000年、NHK教育) ・ エラいところに嫁いでしまった!(2007年、テレビ朝日) ・ さだまさし父の日ドラマSP 親父の一番長い日(2009年、フジテレビ) ・ ウェルかめ(2009年-2010年、NHK) ・ 武士の娘〜鉞子とフローレンス(2015年、NHK) * 星野知子の出演作はほかにもあります。 ドキュメンタリー作品へ >

  • 星野知子|俳優・エッセイスト|公式ホームページ|ドキュメンタリー|出演データベース

    俳優・エッセイストの星野知子が、これまでに出演したテレビドキュメンタリー番組をはじめ、自ら制作と出演を担当した映像作品を紹介。世界と日本の各地へ旅して撮影した紀行番組、各種行事に出演した映像記録の一覧を、年代別に収録した出演データベース。 出演データベース ドキュメンタリー 下線の番組IDをクリック>公益財団法人放送ライブラリーで参照 ドキュメンタリー ・ もうひとつの旅(1977年-1978年、毎日放送) ・ 地球浪漫 世界最古!諸葛孔明ロボットの謎(1987年、TBS)、制作と出演=星野知子 ・ 終着駅ロマン紀行 なごり雪の奥会津へ!消えゆくマタギの里(1987年、テレビ朝日) ・ ワールドクイズ ザ・びっくり地球人!(1987年、日本テレビ)、放送ライブラリー 番組ID: 003975 ・ ネイチャリングスペシャル〜欲望の大河アマゾン(1990年、テレビ朝日)、日本民間放送連盟賞(第38回教養番組最優秀賞)放送文化基金賞(第17回ドキュメンタリー部門奨励賞)ATP賞(第8回ベスト22番組)ギャラクシー賞(第28回奨励賞)、放送ライブラリー 番組ID: 004544 ・ 未来科学ファンタジー アフターマン 5000万年後動物たち(1990年、朝日放送)、ATP賞(第8回ベスト22番組)、放送ライブラリー 番組ID: 004516 ・ 感動!そして発見!ソ連横断4万キロ 激動編(1991年、日本テレビ)、日本民間放送連盟賞(第39回日本民間放送連盟賞報道番組最優秀賞)新聞協会賞(平成3年度新聞協会賞報道番組部門) 日本テレビ技術協会賞(第31回日本テレビ技術賞)、放送ライブラリー 番組ID: 003842 ・ フランス縦断運河大紀行 オンフルール〜マルセイユ(1991年、テレビ朝日)、制作 と 出演= 星野知子 ・ THE プレゼンター〜エジプト巨大神殿発掘の謎を追え(1992年、TBS) ・ 飽食の海 ニッポンのいけす瀬戸内海(1992年、瀬戸内海放送)、放送ライブラリー 番組ID: 004180 ・ システィーナ礼拝堂壁画修復記録 ローマへの道〜ペテロとパウロの旅を追う(1992年、日本テレビ)、放送ライブラリー 番組ID: 008653 ・ NNNドキュメント'92 なぜ学校へ通えないの? おりえちゃんの願い(1992年、中京テレビ)、放送ライブラリー 番組ID: 005218 ・ 4000キロ雁渡る〜小さな沼と、シベリアと(1992年、北海道テレビ)、第13回動物愛護映画コンクール 内閣総理大臣賞 ・ テレビ朝日開局35周年・日中国交回復20周年特別企画〜揚子江(1993年、テレビ朝日) ・ 拝啓コシヒカリ様 カリフォルニアからのメッセージ(1993年、新潟放送)、放送ライブラリー 番組ID: 005214 ・ 中京テレビ報道特別番組〜おりえの小さな願い(1994年、中京テレビ)、「地方の時代」映像祭(1994年優秀賞)、放送ライブラリー 番組ID: 006924 ・ ヨーロッパガラス紀行〜ベニス・ボヘミア・パリ・ナンシー(1995年、NHK-BS)、制作 と 出演= 星野知子 ・ 世界謎紀行・神々のいたずら〜シーザーの快楽 享楽の大帝国ローマの謎(1996年、TBS)、放送ライブラリー 番組ID: 008843 ・ 道浪漫 ドイツ〜ロマンチック街道(1997年、TBS) ・ 道浪漫 オランダは自転車に乗って(1998年、TBS) ・ ブナの森と生命の水〜世界遺産白神山地の1年(1998年、秋田朝日放送)、放送ライブラリー 番組ID: 009008 ・ 道浪漫 フランス〜緑の牡蠣(1998年、TBS) ・ 道浪漫 シリア縦断紀行〜アレッポ石鹸に恋をして(2000年、TBS) ・ 道浪漫 シベリア縦断紀行(2000年、TBS) ・ 星野知子の"写真館"心の旅 … カメラの旅(2000年、テレビ東京) ・ 料理バンザイ!(2000年、テレビ朝日) ・ 世界とてもクラフト パオプオルガン〜ドイツ・バイエルン(2000年、NHK) ・ 20世紀−日本の経済人(2000年、テレビ東京) ・ 東欧三都物語〜クロアチア、ポーランド、ウクライナ(2001年、KBS京都)  ・ 道浪漫 アイスランド紀行(2001年、TBS) ・ 星野知子のドイツ夢街道〜王と皇帝の道(2001年、テレビ朝日)、制作 と 出演= 星野知子 ・ 道浪漫 はるばるとパラグアイ〜南米の緑の宝石を訪ねて(2001年、TBS) ・ 道浪漫 イグアスの滝のすべて(2001年、毎日放送) ・ 芸術に恋して!モネ〜大作"睡蓮"への執念(2001年、テレビ東京) ・ インド 祈りの世界(2002年、NHK) ・ 立体生中継 インド・心の大地〜プロローグ 文明と宗教の源流を訪ねて(2002年、NHK) ・ 立体生中継 インド・心の大地総集編(2003年、NHK) ・ TV生誕50年 度肝を抜いた!衝撃の歴史的瞬間99(2003年、日本テレビ) ・ 道浪漫 安らぎのベトナム〜世界遺産の海に暮らす(2003年、TBS) ・ ラン学事始〜花の女王に魅せられて(2004年、北海道放送)、放送ライブラリー 番組ID: 014667 ・ これが世界の超絶景!!〜一生に一度行ってみたい旅スペシャル(2004年、TBS) ・ 特集 情報発信が世界を変える(2004年、NHK) ・ 新潟県中越地震救援コンサート(2004年、NHK) ・ 被災地はいま 復興にかける〜中越地震2カ月(2004年、NHK) ・ 言の葉 星野知子〜"夕日"童謡(2005年、テレビ東京) ・ 放送80周年記念番組 平和巡礼2005 HIROSHIMA〜世界に伝えよう被爆者の心(2005年、NHK) ・ よみがえれ ふるさと〜新潟県中越地震から1年(2005年、NHK) ・ ポカポカ地球家族 中央アメリカの楽園生活〜コスタリカ(2005年、テレビ朝日) ・ ポカポカ地球家族 ドイツにラーメンを広めたい(2006年、テレビ朝日) ・ 地球街道 とっておきのイタリア〜トスカーナに乾杯(2006年、テレビ東京) ・ 地球街道 イタリアからの手紙〜とっておきの文房具を探して(2006年、テレビ東京) ・ 平成20年ニッポン、心の原点(2008年、NHK) ・ 食彩浪漫 人生の旅支えるスープ(2008年、NHK) ・ 世界芸術ミステリー フェルメールの暗号〜光の天才画家の作品と生涯の謎を解く(2008年、TBS) ・ 日本の祭2009 こころ踊る天水の夏〜徳島・阿波おどり(2009年、NHK) ・ 地域発!どうする日本「危機の自治体」(2009年、NHK) ・ 日本の、これから「核の時代とどう向き合うか」1部・2部(2009年、NHK) ・ 神々の森へのいざない〜春日大社 悠久の杜(2010年、NHK) ・ つながろう!日本〜東日本大震災 広がる支援の輪(2011年、NHK) ・ 山古志〜人が自然をいたわり 自然が人を癒やす里山(2014年、NHK) ・ ラストメッセージ "不死身の特攻兵" 佐々木友次伍長(2021年、テレビ朝日)ナレーション出演 * 星野知子の出演作はほかにもあります。 司会・キャスター・パネリスト / 広告へ >

  • 星野知子|俳優・エッセイスト|公式ホームページ|著書

    俳優・エッセイストの星野知子が、作家デビューして以降これまでに執筆したノンフィクション作品や、自伝的なエッセイ、国内外での紀行文、フランスやオランダの絵画・美術館をめぐるエッセイなど、日本国内で出版された著書の全作品を刊行年代別に紹介する。 著作紹介 鎌倉の家で執筆する星野知子 2023年 敬文舎 星野知子の鎌倉四季だより 鎌倉の風土、自然、花、鳥、人々との触れ合いを、温かな眼差しで感性豊かに描き出す。地元に暮らす星野知子が、美しい日本語で感性豊かに紡ぐ、日本の古都をめぐる四季折々のダイアリー。 出版社ホームページ 2012年 平凡社 フェルメール夢想空想美術館 オランダの画家フェルメールをめぐるエッセイ第2弾。珠玉の名作から聞こえる会話に耳を傾け、空想をふくらませた15の物語。星野知子がいざなう驚きの世界へようこそ。装丁デザイン・大林眞理子。 出版社ホームページ 2015年 講談社 今を生きる『武士の娘』 明治時代の越後長岡からニューヨークへ。100年前の米国でベストセラー作家となった家老の娘、杉本鉞子の生涯を同郷の星野知子が読み解く。NHKドラマ「鉞子とフローレンス」同時出版。 出版社ホームページ 2006年 小学館 ふる里へ 星野知子の詩文と黒井健さんの絵画で、ふる里新潟の四季を描いた郷愁あふれる絵本。2004年に起きた中越地震からの復興支援のために企画された。第25回赤い靴児童文化大賞受賞。装画・黒井健。 在庫切れ 2002年 集英社 パリと七つの美術館 芸術の都パリの中でも、個性的な美術館を巡るエッセイ。街の息づかいを感じつつ、ドラクロワ、モロー、ピカソ、ブールデル、ダリなど美の巨匠の隠れ家を星野知子が散策する。オールカラー版、集英社新書。 出版社ホームページ 2000年 小学館 フェルメールとオランダの旅 オランダの至宝フェルメールの作品に惹かれ、オランダへ旅する美術紀行エッセイ。アトリエの光や空気を感じ、神秘的な絵の謎を解く。画家が暮らした街角の探訪も楽しい。日蘭交流100年記念出版。 在庫切れ 2002年 講談社 食べるが勝ち! 純和食派の星野知子が、パラグアイ、インド、シリア、アイスランド、中国青海省の意外な「食」と出会う旅。良い旅は、美味しい食物と同じで後味が残る。食べるとは何かを考える一冊。絵と装丁・南伸坊。 出版社ホームページ 2000年 講談社 星野知子のフォト&エッセイ 旅の写心館 NHK朝の連続ドラマ「なっちゃんの写真館」で、女性写真家を演じた星野知子が、自らカメラを手に世界を旅をする。シャッターを押せば自分の心も写るという。全ページ70点余の撮り下ろしカラー作品を収録。 出版社ホームページ 1999年 講談社 子連れババ連れ花のパリ 2児の子連れの妹を訪ね、母を連れてやって来たフランスのパリ。花の都で過ごす優雅な日々、とはいかないのが家族旅行だ。エスプリいっぱいの短い休暇の行方はいかに…。星野知子自ら本の装画を描いた作品。 出版社ホームページ 1994年 講談社 トイレのない旅 住めば都=辺境の地を行く トイレに不自由した土地ほど人間味があって、面白い! 南米のアンデス、ロシアのシベリア、中国雲南省を星野知子が旅して、「トイレのない地」で体験する感動とユーモアあふれる物語。装丁と絵・亀甲健。 出版社ホームページ 1997年 集英社 デンデン虫がふりむけば 世界を旅した女優がつづる普段着での暮らしと、多忙な仕事の舞台裏。やさしい眼差しで見つめる、人々との出会いの日々。手書きイラストを添えたエッセイ集。第17回日本文芸大賞受賞。装画・石川哲司。 出版社ホームページ 1990年 テレビ朝日 濁流に乗って 欲望の大河アマゾン 驚きの自然現象と未知の人々との出会いを求め、星野知子が大河アマゾンの濁流を遡る旅。ジャングルでの暮らし、先住民との交流。TV取材で滞在した50日間の記録を書き下ろした、エッセイストデビュー作。 在庫切れ 電子書籍・文庫へ > エッセイへ >

  • 星野知子|俳優・エッセイスト|公式ホームページ|バイオグラフィー

    俳優・エッセイストの星野知子の生い立ち、デビューまでの歩み、NHKドラマ「なっちゃんの写真館」で俳優デビューしてからの出演歴を紹介。音楽番組の司会やニュースキャスターとしての活動やエッセイ執筆についても、報道等の資料に基づき詳述されている。 バイオグラフィー 下線の番組IDをクリック>公益財団法人放送ライブラリーで参照 長岡市・悠久山の桜 星野知子は、新潟県長岡市の旧市街で、父星野智三郎、母星野悦子の長女として生まれた。先祖は戦国時代に三河牛久保城主の牧野氏に仕え、上州を経て越後移封に従った。越後長岡藩の立藩から幕末まで代々長岡藩士だった。高祖父の星野貞固(さだかた / 瀬平)は、慶応4年(1868年)に家老河井継之助が指揮した北越戊辰戦争で戦没した <脚注1> 。 祖父は、長岡出身の小説家松岡譲やフランス文学者の堀口大學と旧制長岡中学の同期。その縁で太平洋戦争中に、松岡譲と、松岡が結婚した夏目漱石の娘の筆子、漱石の孫半藤末利子が、星野の祖母の実家佐藤家に疎開 <注釈1> していた。半藤末利子の夫で作家の半藤一利も戦時中に長岡へ疎開、星野の叔父とは旧制長岡中学の同級生だった。星野は、長岡市立千手小学校から長岡市立南中学校へ入ると、1年上級生にのちに時代小説『天地人』などで知られる小説家の火坂雅志がいた。その後、祖父、父と同じく新潟県立長岡高校に進んだ。 <脚注1> 週刊朝日MOOK『司馬遼太郎Ⅱ』(星野知子「私と司馬さん」)朝日新聞出版、2007年 <注釈1> 半藤末利子の著書『漱石の長襦袢』(文藝春秋、2009年)には、「よりにもよってその年は記録的な豪雪となった。積雪は2階家をすっぽりと埋め、電柱や電線につまずくほどであったから、こたつしか暖房のない屋内は白い壁に覆われた冷蔵庫そのもので、昼なお暗かった。……裏庭には高い高い杉の巨木が林立していて、天辺にたくさんのふくろうが棲みつき、夜になるとホーホーと物哀しげに鳴いた」と、戦時中の疎開先だった旧家の佐藤家の様子が描写されている。 「もうひとつの旅」の収録風景。ドナウ川の船上で、北杜夫さん(左)と 法政大学の卒業式 法政大学社会学部へ進学のため上京してまもなく、母が服飾誌『装苑』の専属モデル募集に娘の写真を送ったのがきっかけで芸能界に入った <脚注2> 。身長が高く似合う服が見つからない娘のため、母は『装苑』の型紙を参考に服を手作りする愛読者だった。1976年の第16回装苑モデルに選ばれると、大学在学中に専属を2年あまりつづけた。のちに星野知子が主演に起用されるNHK朝の連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」のモデルとなった立木写真館3代目の立木香都子の次男で、写真家の立木義浩も『装苑』で星野のグラビアを撮影していた。同じころ、日本航空が企画した「ジャルパック」のイメージキャラクターに起用され、メキシコで撮影されたCM「人間旅情」 <脚注3> に出演、テレビ画面に初登場した。さらに在学中に、TBS系列で放送された「もうひとつの旅」(毎日放送・松山善三プロダクション共同制作)の海外レポーターを務め、小説家の北杜夫や作曲家の團伊玖磨、インダストリアルデザイナーの柳宗理とともに、フランス、イタリア、オーストリアなど欧州や東南アジアで番組が収録されている。 <脚注2> 週刊朝日連載・山下勝利著『早過ぎる自叙伝~25人のまぶしい女たち』朝日ソノラマ・アシーネ、1984年 <脚注3> [ジャルパック MEXICO「人間旅情」] 放送ライブラリー 番組ID:A27456  ACC東京クリエイティビティアワード / ACC-CMフェスティバル第18回テレビフィルムCM部門秀作賞 デビュー2年目、ドラマ版「サザエさんスペシャル」でマスオ役を演じた小野寺昭さんと デビューの日、1980年2月22日「なっちゃんの写真館」の制作発表で。22歳 星野知子が大学4年生の1979年秋、NHKで行われた「なっちゃんの写真館」 <脚注4> のオーディションを受け600人の応募の中から主役に決まり、西城夏子役を演じた。夏子の夫役の滝田栄とのさわやかで明るい演技が評価され、最高視聴率45.1%、平均視聴率39.6%を記録した。のちになって、「女優という気持ちはあまりなかったんです。半年間、NHKに就職したようなものだった」と語っている <脚注5> 。主演第2作となるフジテレビのドラマ「サザエさん」では、一転してコミカルな役を演じた。1982年にフジテレビの「ミュージックフェア」 <脚注6> への出演が決まり、俳優の南田洋子、長門裕之夫妻のあとを受け第4代司会者を1988年まで6年間にわたって務めた。1987年には、テレビ朝日が企画した新しいニュース番組「ニュースシャトル」のメインキャスターに抜擢された。アシスタントキャスターを同局アナウンサーの朝岡聡が担当した。当時の日本では芸能人キャスターの草分けとして、内外のメディアから注目された <脚注7> 。キャスター初登場の10月19日が世界株価大暴落(ブラックマンデー)の当日で、番組が終了する1989年9月までに日本初の宇宙ステーションとスタジオとの交信、ソ連のゴルバチョフ書記長の改革ペレストロイカ、中国の天安門事件、ベルリンの壁崩壊前夜など、世界を揺るがした激動期のニュースを報じた。 <脚注4> [連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」] 放送ライブラリー番組ID:001589 NHKアーカイブス、ダイジェスト動画「なっちゃんの写真館」 (第25作) <脚注5> 週刊朝日連載・山下勝利著『早過ぎる自叙伝~25人のまぶしい女たち』朝日ソノラマ・アシーネ、1984年 <脚注6> [ミュージックフェア'86 1100回記念] 放送ライブラリー 番組ID:004476 <脚注7> The Japan Times, "Tokyo's only actress-newscaster finds early viewer criticism replaced by praise", May.5.1988 「ミュージックフェア」司会者 「ニュースシャトル」キャスター 1980年代にドラマだけで50本近く出演した星野知子だが、1990年代にはドキュメンタリー番組への出演の機会が増えた。星野は、25歳だった1983年に個人のプロダクション会社「リマソン」と、ドキュメンタリー番組を制作する会社「悠」の2社を設立し、自らもプロデューサーとしてTBSの「地球浪漫」「新世界紀行」などに提供していた <脚注8> 。1989年に「ニュースシャトル」が終了するとすぐ、テレビ朝日のドキュメンタリー「ネイチャリングスペシャル」を撮影するため、ブラジルのアマゾン奥地で1カ月半にわたり先住民族の村に暮らし、「欲望の大河アマゾン」 <脚注9> として放送された。この番組は、日本民間放送連盟賞(第38回教養番組最優秀賞)、ギャラクシー賞(第28回奨励賞)、放送文化基金賞(第17回ドキュメンタリー部門奨励賞)、ATP賞(第8回ベスト22番組)など4冠を得ている。またこのときに、エッセイストのデビュー作となるノンフィクション作品『濁流に乗って~欲望の大河アマゾン』を出版した。さらに、番組制作会社「悠」を通じ、星野知子が制作・出演の両方を担った「フランス縦断運河大紀行」(1991年、テレビ朝日)「ヨーロッパ・ガラス工芸紀行」(1995年、NHK-BS)「ドイツ夢街道~王と皇帝の道」(2000年、テレビ朝日)などの番組が放送されている。 <脚注8> 日本経済新聞、「ただいま制作中・一瞬に立ち会う感動」、日本経済新聞社、1991年12月13日 <脚注9> [ネイチャリングスペシャル 欲望の大河アマゾン] 放送ライブラリー 番組ID:004544 いじめ問題を描いた映画「やがて … 春 」 長岡花火・白菊と信濃川にかかる長生橋 映画では、橋本忍、森田芳光、大林宣彦の監督作品などに出演してきた。映画への初出演作は、1982年公開の橋本忍監督・東宝創立50周年記念作品「幻の湖」だった。黒澤映画の脚本で知られた橋本忍とはその後も交流があった。星野知子は、脚本を読むことでエッセイストとしても成長できたと語っている。1986年には、社会問題化した学校のいじめを真正面から描いた作品「やがて…春」に主演し、文部省選定を受けて各地の学校でも上映された。小説家渡辺淳一の原作をもとに森田芳光が監督した映画「失楽園」では、星野と同じく「なっちゃんの写真館」でテレビドラマにデビューした役所広司の妻の役を演じ、1998年の第21回日本アカデミー賞助演女優賞優秀賞を受賞した。森田監督の作品では、2011年に公開された「僕達急行 A列車で行こう」にも出演した。星野が初めて、出身地の長岡を舞台にした映画に出演したのは、大林宣彦監督の「この空の花 長岡花火物語」だった。太平洋戦争末期の1945年の長岡空襲と、長岡花火の歩みを描いた作品で、ハワイやシベリアで鎮魂の花火「白菊」を打ち上げた花火師、嘉瀬誠次が主人公のモデル。星野はこの映画で、嘉瀬の娘、嘉瀬泰子の役柄を演じた <注釈2> 。 <注釈2> 花火師の嘉瀬誠次は、第2次世界大戦後シベリアに抑留され、そこで亡くなった戦友のために毎年8月1日、白一色の鎮魂花火「白菊」を打ち上げた。星野知子は長岡にいたころ、毎年のように信濃川の河畔でこの花火を見てきた。映画「この空の花 長岡花火物語」の撮影中、星野が演じた役柄である嘉瀬の娘泰子から「自分の役をやってもらえて嬉しかった」と話しかけられたという。 稲垣家ゆかりの梅の木 長岡市で 杉本鉞子が著した "A Da ughter of the Samurai" 1934, NEW YORK 星野知子 蔵 星野知子は、エッセイ・随筆の著作でも知られる。ノンフィクションとして発表された『濁流に乗って~欲望の大河アマゾン』以降、世界50カ国以上を旅してきた経験から、おもに紀行や海外アートをテーマにした書籍が出版されている。著作活動と並行して、2001年からNHK-BSの書評番組「週刊ブックレビュー」の司会を3年間担当した。また2000年代には、報道ドキュメンタリーを手がけたNHKのシニアエグゼクティブプロデューサー川良浩和の働きかけで、放送80周年記念番組「平和巡礼2005 HIROSHIMA~世界に伝えよう被爆者の心」や「神々の森へのいざない~春日大社 悠久の杜」など、日本の平和や文化といったメッセージ性のある番組に出演した。川良浩和の製作で2015年にNHK-BS1スペシャルで放送されたドキュメンタリードラマ「武士の娘~鉞子(えつこ)とフローレンス」は、ドラマの主人公である越後長岡藩元家老の稲垣茂光の娘、杉本鉞子の物語。鉞子が渡米後に英文で『武士の娘』を著し、日米の架け橋となるまでの生涯が描かれた。この番組は、鉞子と同郷の星野から川良へ直接、ドラマ化の企画を持ちこんで実現させた <注釈3> 。星野自らも、鉞子の功績を分かりやすく読み解く『今を生きる〝武士の娘〟〜鉞子へのファンレター』を執筆し、講談社から刊行された。 <注釈3> NHK-BS1スペシャルで放送された番組「武士の娘~鉞子とフローレンス」は、主役の杉本鉞子を女優の水野真紀が演じ、鉞子を支えた米国人女性フローレンスをシンシア・チェストンが演じた。星野知子自身は、杉本鉞子の墓参などドキュメンタリーの場面で出演したほか、ドラマのナレーションを担当している。 私生活では、2008年に朝日新聞社の元モスクワ特派員だったジャーナリストで、現在は作家の横村出(よこむら いずる) <注釈4> と結婚した <脚注10> 。翌2009年に東京都内から神奈川県鎌倉市へ転居している。2023年には、鎌倉暮らしの四季折々をつづったエッセイ『星野知子の鎌倉四季だより』を出版。2023年に逝去した日本藝術院会員で芥川賞作家の三木卓が月刊誌『かまくら春秋』に30年間連載した「鎌倉その日その日」のあとを引き継ぎ、星野知子が「新 鎌倉その日その日」を2024年1月から執筆している。 <注釈4> 作家・ジャーナリスト|横村出オフィシャルサイト <脚注10> 週刊朝日、「星野知子の結婚のお相手は朝日のベテラン記者」、朝日新聞出版、2008年6月6日 *文中、敬称を略して表記しています。 2025年1月 鎌倉・七里ヶ浜のスタジオで エピソードへ >

  • 星野知子|俳優・エッセイスト|公式ホームページ|ギャラリー

    俳優・エッセイストだけでなく、フォトグラファーとして写真を発表している星野知子が、世界を旅して自らカメラに収めた作品を掲載。日本、欧州、中東アジア、南北アメリカの50カ国以上で撮影された作品から、街・人・大地・日本のテーマごとに紹介する。 星野知子が写す 旅の世界 Fairy troll rocks, Iceland Sunset over the North Atlantic Ocean, Iceland Plitvice lakes, Croatia Water mirror, India's Taj Mahal Selling a street snack Panipuri, India Praying men, India Glaciers flowing into the sea, Iceland Scars of war, Croatia People of the desert, Egypt Market in Marrakech, Morocco Palmyra ruins, Syria Harvest season; children of the universe, Bhutan Mother and Child, Bhutan Tibetan boy with smile, Qinghai Province, China Floating dweller in Halong Bay, Vietnam Trinidad ruins, Paraguay Neuschwanstein castle, Germany's romantic road Countryside in Tuscany, Italy Frozen lake, Reykjavik, Iceland Rainbow from Iguazu, Argentina A forest shrouded in morning mist in Hiraizumi, Iwate An old house in autumn, Hiraizumi, Iwate Garden of pure Land, Chusonji Temple in Hiraizumi ギャラリー「街」へ >

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    俳優・エッセイストだけでなく、フォトグラファーとしても写真を発表する星野知子が、世界を旅して自らカメラに収めた作品を掲載。日本はじめヨーロッパ、中東、アジア、南北アメリカまで50カ国以上で撮影された写真のうち、日本の各地で写した作品を紹介。 ふる里  Photographed by Hoshino Tomoko ホームへ戻る >

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星野知子が描いたカタツムリのイラスト

Maison d’un Limaçon

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