「花火と私」
- 文と写真 星野 知子|Tomoko Hoshino
- 7月18日
- 読了時間: 5分
数ある手持ち花火の中で何が好きかと聞かれたら、迷わず線香花火と答える。とはいっても、今は花火をする機会はなく、子どものころの思い出だ。
いつだったか国産の線香花火をいただいて、何十年ぶりに楽しんだ。ずいぶん品質がよくなっていた。橙色の火の玉はふっくら大きくて、飛び散る火花も豪華だ。こんなにきれいだったかしら。こんなに長持ちしたかしら。さすが国産、一時は廃(すた)れて製造されなくなっていたが、高級品として復活したのだという。
昔は、夏の夜に家の前でよく花火をした。ろうそくと水を張ったバケツを準備して、近所の人たちも集まってにぎやかだった。
花火セットからひとつずつ選び、次々に点火していく。棒の先から勢いよく火花が飛び出すススキや、地面をクルクル回るネズミ花火も好きだったが、いつも最後は線香花火だった。みんなで輪になってしゃがみ、一本ずつ手に持った。火をつけると、チリチリと火玉が大きくなっていく。息を止めて指先に集中するうち、小刻みに震える火玉から四方八方に花が咲きはじめる。パチパチパチ……、ひそやかで夢のように華やかだった。
線香花火を思い出すとき、橙色に花咲く火花とそれに照らされた自分の足が思い浮かぶ。サンダルの足の指先はぎゅっと力が入っていた。
激しく燃える火花がおさまると、今度はツン、ツン、と柳のようにしだれて散っていく。次第にその数が少なくなって、がんばれ、消えないで、と願うが、火玉は黒く細くなって、ふっと落下する。その瞬間、さびしかった。線香花火はただきれいなだけではなく、せつない気持ちになるものだった。
そのころに「線香花火は人の一生。生まれて、青年期、壮年期、老年期を経て命が終わる」と言われても実感はなかっただろう。ある程度の年齢になって、身内や親しい人たちの死を受け止め、どんなに「逝かないで」と叫んでも命は終わるのだとわかってくると、思い出の線香花火の美しさとはかなさが一層心にしみるようになる。
私が花火に特別な思いをもつのは、新潟の長岡市で生まれ育ったからだろう。長岡は夏の花火大会が有名で全国から大勢の人が訪れる。
八十年前の夏、長岡は大空襲で焼け野原となり多くの市民が命を失った。長岡花火大会は犠牲になった人々の慰霊と街の復興を祈って始まった。それから毎年、市民は次々に打ち上げられる花火を見上げて犠牲者を供養してきた。そして、ごく自然に亡くなった身近な人たちをも悼むようになっていった。子どもだった私もなんとなく感じていた。花火は亡き人を思って打ち上げるもの。大輪の花に酔い、同時に心が痛む夜だった。
長岡花火を題材にした映画「この空の花 ―長岡花火物語」は、大林宣彦監督の平和への祈りが込められている作品だ。
私は伝説の花火師の娘の役で出演した。紺の半被(はっぴ)を着て手ぬぐいを頭に巻くと、すっかり花火職人の気分になった。
花火工場では、花火玉に「星」と呼ばれる火薬を詰める作業を撮影した。「星」は花火の赤や青など色のもとになる黒い球だ。半分に割った花火玉に団子のような「星」を並べていく。指導してくれた職人さんに、隙間がないように、きちんと詰めないと打ち上げたときゆがみますからね、と言われた。
「えっ、この花火玉は映画用の小道具じゃないんですか? 本物なの?」
「はい、打ち上げますよ」
職人さんは、当然というようにうなづいた。
急に緊張した。大切な一発だ。丸く色鮮やかに開いてもらいたい。ほんの数秒のシーンだったが、貴重な体験だった。
映画が公開された年、長岡の花火大会会場で大林監督と一緒に夜空を見上げた。信濃川の川風に吹かれ、日本酒を酌み交わし、いろいろなお話をうかがった。監督はいつもの穏やかな笑顔で花火を楽しまれていた。
それから八年後に、監督はたくさんの平和へのメッセージを残して亡くなられた。私はまたひとり、花火で偲ぶ人がふえた。
鎌倉の花火大会を初めて見たのは十七年前。鎌倉に引っ越す前の年だった。
さざ波が押し寄せる海で打ち上がる花火は、からっと明るく感じられた。空と海がはてしなく続いているせいだろうか。故郷の、山に囲まれた川の花火とは違う印象だった。

驚いたのは水中花火だ。水面で扇のように広がる花火の華麗で幻想的なこと。見えない半分は海の中で半円に開いているの? と不思議だった。疾走する船が花火玉を海に投げ入れていくのもおもしろかった。花火大会がある街に住むなんてうれしいなあと心が弾んだ。
今やもう鎌倉の住人となっている。それでも、毎年、花火大会の日はそわそわする。雨が降りませんように。煙を散らしてくれる風が適度に吹きますように。
ドーンッと、最初の一発が打ち上がる。お腹に響く音はたまらない。浜辺まで行って屋台の灯りと喧噪にまみれて眺めたり、家の二階からビールと枝豆でゆったり鑑賞したり。我が家の年中行事のひとつとなっている。
ただ、花火大会は毎年あたりまえに開催されるわけではない。資金不足で実施が危うくなった年はハラハラしたし、コロナ禍で中止された数年は重苦しい夏だった。花火は世の中が平穏であってこそ打ち上げることができる。あらためて気づかされた。
昨年、五年ぶりの開催となった。街は活気が戻って日中からにぎわっていた。久しぶりの花火大会は勢いがあって、数年間の閉塞感から心を解放してくれた。
この夏の鎌倉花火大会は、七月十八日。てるてる坊主でも作りましょうか。私は鎌倉の夜空を見上げて、歓声を上げ、拍手し、やはりしんみりすることだろう。