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「新 鎌倉その日その日」

新 鎌倉その日その日
星野知子の


「呼吸ではじまる」
体力にはまあ自信がある。テレビの健康番組でよくある体力チェックの類いは、なんでも軽くクリアしていた。 よし、まだ若いね、と思っていたら、先日簡単な動きができなかった。椅子に腰掛け、片足を上げて、もう片方の足だけで立ち上がるというもの。右足ではスッと立てたが、左足だと力が入らず、ドッコイショとやっとだった。 筋肉がおとろえている……。これくらい少し前には苦労せずできたのに。 水泳にずっと通っているし、なるべく歩くようにして、それも早足でと鍛えていたつもりだったが、その程度では加齢の速度に追いつかなくなったということか。 女友だちの、それはもうスクワットが一番よ、との助言で、最近毎日やっている。 年齢に関係なく筋肉は努力すればつくのだそうだ。「筋肉は裏切らない」らしい。 筋トレは呼吸が大切。ゆっくり息を吸って、ゆっくり吐いて。ただ、黙々とストイックに励むのは苦手だ。なるべく優雅に歌うようにと心がけていたら、なぜかあのメロディが頭の中で聞こえてきた。 タラララッタラ~。ポパイのテーマ音楽だ。子どものころテレビで見ていた。水夫のポパイがたくましい宿敵ブル
1 日前読了時間: 5分


「星を仰げば」
冷えた夜に、歩きながら空を見上げる。 あ、こんなにくっきり星が出ていた、と気づいてしばし足を止める。 澄んでキーンと凍る冬の空。星座には詳しくないが、この季節、すぐにわかるのはオリオン座だ。目印は右肩上がりに並ぶ3つの星。ギリシャ神話の狩人オリオンの、ベルトの部分が3つ星だ。とはいっても、肉眼で見えるいくつかの星を結んでも、こん棒を振り上げる勇者の姿は浮かび上がってこない。 冬の星座は、他にふたご座、おうし座、いろいろあるが、実際の星座より雑誌の星占いのページのほうがおなじみかもしれない。私は天秤座だ。占いによれば、性格は公平で平衡感覚がよく、優柔不断なところが弱点らしい。合っているような、違っているような。でも気にはなる。星は人の運命をつかさどっていると信じられてきた。星を見上げていると、宇宙の営みの中、小さな地球でほんのひととき生きる私たちは、はかりしれない力に支配されていると思えてくる。 星座は5000年前の古代メソポタミアで、羊飼いたちが星を繋いで身近な動物に見立てたことが始まりとされている。宇宙という概念をもたず、光も音もない大地から眺
2月10日読了時間: 5分


「マナーアップ」
歩いて行ける範囲に神社がいくつもあるのは鎌倉ならでは。散歩がてらの初詣は毎年のことだ。お正月の境内は晴れ晴れとした「いい気」につつまれている。 昔は欲張っていくつもお願いをしたが、今は元気で新年を迎えられたことに感謝して、「家族が健康でありますように」「災害が起きませんように」と、手を合わせてお参りする。 小さな神社でも観光客は多く、年々増えているようだ。年初めに古都鎌倉を訪れたい気持ちは、わかる。 去年のお正月、境内の手水舎(ちょうずや)でひしゃくを持つ私の手を見ている視線に気がついた。東南アジアからだろうか、女性のグループだ。私が水を汲んで手を洗い、口をすすぐのを真似している。神妙な面持ちだ。「水は飲まないのよ」と身振りで教えるとニッコリうなづいた。日本の伝統的なしきたりを真摯に試みてくれるのはうれしい。一方で、手水舎に平気で手を突っ込む若者を発見。とっさに「それはダメ」と声が出てしまった。 観光客のマナーの悪さが目立っている。人が何倍にも増えると、マナー違反はそのまた倍になるのだろうか。 先日、駅の近くの海産物店で、レジの大きな張り紙が目に
2026年1月1日読了時間: 5分


「カラスミ作り」
そろそろお店に並んでいるかなあ、と鮮魚店のガラス戸を開ける。冬の海の幸は見るだけでも楽しい。カキにカニ、寒ブリ、アンコウ。どれも大好物だ。でも、私のお目当てはボラの子(卵)。11月から12月の短い間しか出回らないし、数も少ないから、見つけると即購入する。 毎年、手に入ればボラの子でカラスミを作る。へー、カラスミって素人でも作れるの? と驚かれるが、作れるのです。本格的ではないけれど、そこそこ美味に、いとも簡単にできちゃうのです。 カラスミ作り歴は長い。もう20年近く前からだ。最初は東京・築地の場外市場をブラブラしていたときのこと。午後2時過ぎで買い物客は少なく、どの店も片付けはじめていた。 「あの、ボラの子を買ってくれませんか?」 通りかかった鮮魚店からすがるような声が聞こえた。 ボラという魚の名前は知っていたが、ボラの子をどうやって食べるのだろう。煮物? 若い店員は関心を持った私の表情を見て、 「カラスミは好きですか?」 ときた。もちろん好きだ。ただ、めったに口にすることはない。特別なときにほんの1、2枚ありがたくいただく高級珍味だ。...
2025年12月20日読了時間: 5分


「ササリンドウ」
あら、こんなところにセーラームーンが——。足元で愛らしいアニメの主人公が笑っていた。 東京の麻布十番商店街入り口で、カラフルなマンホールの蓋を見つけた。1990年代に一世を風靡(ふうび)した「美少女戦士セーラームーン」。金髪をなびかせ得意のポーズで決めている。ポスターのように色鮮やかだから、踏むのは気が引ける。道行く人たちもマンホールをよけて歩いていた。 その土地に縁のあるキャラクターや名産品が描かれた「ご当地マンホール」が、今人気だ。地域の特徴を表し、宣伝にもなる。今年は大谷翔平選手のデザインマンホールが出身地の奥州市に設置されて話題になった。各地でお目当ての蓋を探したり、お気に入りのデザインを見つけたり、密かな町歩きの楽しみになっているようだ。 普段、気にとめずに歩いているが、マンホールは驚くほどたくさんある。自宅の玄関を出て100メートル足らずで25個を数えた。等間隔ではなく道のあちこちに散らばる丸い蓋は、美観をそこねているようで、アートにも見えてくる。蓋のデザインも様々だ。 鎌倉の絵柄で多いのは鎌倉市章のササリンドウだ。3つの花の下に5枚
2025年11月14日読了時間: 5分


「中秋の名月」
鎌倉・由比ヶ浜から見る中秋の名月(星野知子撮影) スーパームーンにブルームーン、ブラッドムーンも。最近よく耳にする満月の呼び名だ。スーパームーンは、軌道の関係で月が最も地球に近づいたときの大きな満月。ブルームーンは色ではなく、月に2回満月があることだそうだ。そして皆既月食で月が赤黒くなる現象がブラッドムーン。色も形も変化する月の神秘は、科学で解明された今もやはりミステリアスだ。 今年の中秋の名月は10月6日。澄んだ秋の空を昇る満月は格別だ。夜のニュースで「今日は中秋の名月です」と紹介されて、テレビ画面一杯にまん丸の月が映し出される。カメラレンズもテレビも性能がいいから、月はすぐ目の前にあるようにはっきり見える。岩石でできた複雑な地形も、クレーターのデコボコも。 きれいなんだけどね……、と私はベランダに出て、夜空を見上げる。そう、これが満月。はるか遠く、ぽってりあたたかい。年齢とともに私の目も悪くなっているから、多少おぼろに見えるくらいがちょうどいい。 鎌倉は月が美しい。都心から越してきて月をよく眺めるようになった。高い建物がなく山と海に囲まれた鎌
2025年10月19日読了時間: 5分


「米賛歌」
そういえば「えの田(でん)」はいつなくなったのだろう? 江ノ電の鎌倉駅、到着ホーム脇に小さな田んぼがあった。畳数枚くらいの大きさで、たしか古代米を作っていた。愛嬌のある案山子(かかし)が立っていて、電車から降りるたびに稲の成長を見るのが楽しみだった。刈り取った稲は天日干しで、鉄道会社の田んぼならでは、干し場が踏切の遮断棒でできていた。今は、一面雑草が生い茂っている。 「えの田」を思い出したのは、久しぶりに生まれ故郷の長岡に帰ったからだ。 八月の初め、新幹線で新潟県に入ると青々とした田んぼが広がっていた。早場米はもう新米が出回っているが、新潟の、それも山間部のコシヒカリの刈り入れは例年九月中旬から十月にかけて。田んぼが黄金色に波立つようになるのはもう少し先だ。 上越新幹線の車窓からの眺め。8月の新潟県魚沼地方 車窓からは瑞々しく見えるが、この夏は早くから猛暑が続き、長い水不足のあとに急激な大雨となった。米の出来が心配だ。稲穂がびっしり重く実をつけて収穫の時期を迎えてほしいと願っている。 米どころ新潟で生まれた私は、コシヒカリを食べて育った。今のよう
2025年9月20日読了時間: 5分


「うちわの風は」
この夏のはじまりは早かった。六月、梅雨の中休みかと思いきや夏日が続きそのまま真夏の暑さに突入。そしてどうやら残暑厳しく秋の訪れも遅そうだ。いやはや……。 出かけるときには覚悟が必要だ。麦わら帽子と水筒を持参するくらいでは心もとない。冷感マスク、冷感スプレー、冷感タオル……。ちまたには冷感グッズがたくさん並んでいる。 ネッククーラーを買ってみた。冷蔵庫で冷やして首につけるリングだ。太い血管が通っている首を冷やすと全身が涼しくなるという。一、二時間しか持たないが、熱中症になる不安は軽減される。なんだか犬の首輪みたいなので、麻のスカーフを上に巻いて出かけている。 ここ二、三年は携帯の扇風機ハンディファンを持つ若い女性が目につく。歩きながら顔に風を送る優れものだそうだが、熱風があたっているだけのようで本当に涼しいのかしら。ファッションのひとつでもあるようだ。 御成通りですれ違ったデート中の若者も使っていた。二十代前半らしき女性は日傘をさし、ブランドのバッグを手にしている。隣の男性はリュックを背負い、片手にハンディファン。腕を伸ばして風を送っているのは彼女
2025年8月17日読了時間: 5分


「花火と私」
数ある手持ち花火の中で何が好きかと聞かれたら、迷わず線香花火と答える。とはいっても、今は花火をする機会はなく、子どものころの思い出だ。 いつだったか国産の線香花火をいただいて、何十年ぶりに楽しんだ。ずいぶん品質がよくなっていた。橙色の火の玉はふっくら大きくて、飛び散る火花も豪華だ。こんなにきれいだったかしら。こんなに長持ちしたかしら。さすが国産、一時は廃(すた)れて製造されなくなっていたが、高級品として復活したのだという。 昔は、夏の夜に家の前でよく花火をした。ろうそくと水を張ったバケツを準備して、近所の人たちも集まってにぎやかだった。 花火セットからひとつずつ選び、次々に点火していく。棒の先から勢いよく火花が飛び出すススキや、地面をクルクル回るネズミ花火も好きだったが、いつも最後は線香花火だった。みんなで輪になってしゃがみ、一本ずつ手に持った。火をつけると、チリチリと火玉が大きくなっていく。息を止めて指先に集中するうち、小刻みに震える火玉から四方八方に花が咲きはじめる。パチパチパチ……、ひそやかで夢のように華やかだった。 線香花火を思い出すとき
2025年7月18日読了時間: 5分


「かたつむり」
でんでんむしむし、かたつむり、と歌っても、かたつむりは虫ではありません。貝の仲間。 梅雨時に、濡れた葉っぱをひっくり返す。ツノがきゅっとちぢんでコロンとした殻に身を隠す。子どものころは親しい遊び友だちみたいな存在だった。 私の家の中にはたくさんのかたつむりがいる。小さな置物、お皿やハンカチ、アクセサリー、絵、本も。赤ちゃんを乗せるかたつむりの木馬まである。 かたつむりの形のものをコレクションしてから四十五年以上になる。数えたことはないが、二百くらいはあると思う。 最初のひとつはハワイのホテルで買った。海の貝殻とガラスでできた小さな飾り物。ひと目ぼれだった。それから、国内外を旅行するたび記念に買って増えていった。不思議なもので、みやげもの店に入ると「あ、ここにはいる」と気配を感じる。引き寄せられるように店内を進むと、奥のショーウィンドウのかたつむりと目が合って、「私を買ってね」と言われているような気がする。 ただ、なんでもいいというわけではない。マンガっぽくないもの。美しいもの。高価ではないもの、と決めている。 イタリアの色鮮やかなベネチアガラス、
2025年6月21日読了時間: 5分


「竹の音」
晴れた日、和室の障子戸に竹の影が映る。隣の家との境に植えた布袋竹(ほていちく)だ。しなりながら揺れる枝や葉の影絵は、見ていて飽きない。サヤサヤ、サワサワ……。目で感じる風薫る季節だ。 竹は成長が早い。地面の玉砂利を押しのけてタケノコが出てくると、数日後には腰くらいの高さになっている。そうなる前、十センチくらいの時に見つけたら、ポキッと折ってキッチンへ。火で炙って皮を剥く。食べられるのは小指くらいの太さだが、コリコリした歯ごたえと風味がある。ちょっとうれしい。毎年二本か三本のごちそうだ。 ふだん私たちの食卓を彩るタケノコは、もっと太い孟宗竹(もうそうだけ)だ。青果店にはまず九州産から並び始める。タケノコ前線が北上して、地のタケノコが盛りになるのを待って買う。炊き込みご飯に土佐煮、若竹煮。姫皮もかき玉汁でいただいて、毎年季節を味わっている。 ここ数年で一番おいしかったのは、鎌倉のあるお寺で採れたタケノコ。思いがけずひとつおすそ分けしてもらった。手のひらに乗る大きさで、刺身で食べたら柔らかくて香りが強くて。それ以来、鎌倉のお寺で竹林を見るたび、ここにも
2025年5月21日読了時間: 5分


「原稿用紙愛」
ピッカピッカの、1年生! ずいぶん前に流行ったテレビCMだ。4月に真新しいランドセルを背負った子どもたちを見かけると、いつもこの歌を口ずさんでしまう。 最近はリュックの生徒も多いが、カバンの中には新しい教科書とノート、筆箱が入っているはず。国語に算数、道徳に音楽。1年生は未知の世界が待っている。 作文を書くのも小学生になってからだ。昔はいろいろあったなあ。夏休みの宿題の読書感想文、遠足の思い出。将来の夢。今の子どもたちも鉛筆を握りしめて書いているのだろうか。 私は作文が好きだったわけではないが、原稿用紙に字を埋めていくのは楽しかった。ひとマスずつ文字を入れて、段落を変えて、一枚書き終わると達成感があった。 原稿用紙には思い入れがある。35年前、初めて出版した本『濁流に乗って〜欲望の大河アマゾン』を書いたのは原稿用紙だった。テレビの紀行番組で訪れたアマゾンの旅を一冊の本にまとめたものだ。 私にとっては執筆というより作文を書くのと同じ作業。コクヨの400字詰め原稿用紙に鉛筆で書いては消しゴムで消し、苦労した。鉛筆の芯が減ると、小学生のときからずっと使
2025年4月21日読了時間: 5分


「春の始動」
啓蟄(けいちつ)という文字を見るとなんだかムズムズする。冬ごもりしていた虫たちがあたたかくなって土から這い出してくる季節。漢字で書くと虫へんのカエルやヘビもその仲間だ。もちろんあちこちで木の芽も顔を出す。やわらかな陽に誘われて、自然はムズムズモゾモゾにぎわってくる。 同じころ、私の鼻もムズムズしてくる。私の場合は花粉症だ。朝起きがけにくしゃみが続けて出ると、あー本格的に花粉症の季節到来か、とティッシュに手を伸ばす。今年の花粉は例年の1.5倍の量で飛散は早く始まったというから先が思いやられる。 でも、春の到来はうれしい。家のまわりではカエルもヘビも出てこないが、寒いうちはいなかったアリやダンゴムシが姿を見せると、お帰りなさいと声をかけたくなる。テントウムシやミツバチ、モンシロチョウも、ようこそ我が家へと出迎える。玄関前や狭い庭で生き物が動きはじめるのは、あたりまえのようだが癒やされる。 ただ、モンシロチョウには困っている。庭のプランターに植えたブロッコリーやルッコラに卵を産み付ける。葉っぱが穴だらけだ。無農薬だから青虫は安心して食べるんだなあ、とそ
2025年3月22日読了時間: 5分


「若布とか海苔とか」
夏の湘南もいいけれど、暮らしてみて思うのは、冬がすばらしい。キリリと冷たい風に青い空。日差しは強く、海は澄んだエメラルド色に変わる。その向こうに真っ白な富士山が眺められるのだから、思わず深呼吸。遠くに住む友人たちには冬に遊びに来てよ、といつも言っている。 ダウンにマフラー、しっかり日焼け止めクリームを塗って海辺を散歩する。サーファーやランナー。はしゃぐ子どもたち。尻尾をふって波を追いかけるイヌ。寒くても浜は元気だ。 2月になるとあちこちで見られるのが若布(わかめ)干しだ。浜に組んだ大きな干し場で、細長い若布が潮風になびいている。 ああ、今年もはじまりましたね。そろそろ若布のしゃぶしゃぶの季節、と思わずにんまりする。沸かした鍋のお湯にヌメヌメした黒い海藻を浸したとたん、目の覚めるような緑色になる。この瞬間、わかっていても毎年感動する。新緑を思わせる色は、もうすぐ来る春を感じてときめいてくる。 今では見なれている若布干しだが、鎌倉に引っ越してきたときは、「なに?あれは!」とかなり驚いた。砂浜に巨大な洗濯物干し場(?)が出現し、ぶら下がっているのは無数
2025年2月21日読了時間: 5分


「干支のヘビの話」
「いやあ、ヘビがいちばんむずかしいんですよ」 毎年干支の置物を送ってくれる陶芸家が言っていた。 12の動物のうちトラやウシ、タツは力みなぎる新年にふさわしい。かわいいウサギやネズミはおだやかで平和な気持ちになれる。ヘビは——、どちらのグループでもない。だいたい姿が決まっていない。のばせば長い棒状に、動けばくねくね、止まればとぐろを巻いたりする。どの形も作陶しづらいというか、焼き物だから鎌首をもたげたポーズだとポキッと折れるリスクも大きい。陶芸家泣かせなのだそうだ。 ヘビは12の動物のうちの真ん中、6番目にあたる。ね、うし、とら、う、と順番が決まったのは、説話によると、神様が「元日の朝、1番から12番目まで挨拶に来たものを1年交替で動物の大将にする」とお触れを出し、全国の動物たちが競争した結果だ。数え切れない動物の中で上位12に入るだけでもすごい。その強豪の中で6番目にゴールしたヘビは結構足(?)が速いわけだ。 この説話を知ったのは4、5才のころだ。私は子どものころよく風邪をひいたり扁桃腺が腫れたりして保育園を休んでいた。何日かぶりに登園すると運動
2025年1月21日読了時間: 5分


「暮らしのメロディで」
うちの洗濯機は、スタートスイッチを押すとメロディが鳴る。モーツァルトの「ピアノソナタ ハ長調」。ドーミソ シードレド。出だしのワンフレーズだ。聞けば「あ、あれね」と誰でも知っていて、ピアノの練習曲でもある。明るくてテンポがいいから、メーカーは洗濯の気分にぴったりと選曲したのだろう。洗濯機を買った当初はスイッチを押すたびに大きな音がしてビクッとしたが、そのうち気にならなくなった。 先日、路地を歩いていたらこの曲が聞こえてきた。近くの家でピアノの練習中だ。瞬間、頭に浮かんだのはエプロン姿で洗濯機のスイッチを押している自分だった。 このソナタはピアノを習っていた子どものころに練習した。だから、ふと耳にすればピアノに向かっている自分がよみがえると思いきや、洗濯機のほうだったことに苦笑した。 音楽は、日々耳に慣れている記憶をよびさます。私の脳には、ピアノソナタ=洗濯機、とインプットされてしまったらしい。 音楽はそんなふうにさりげなく暮らしに溶け込んでいる。 やさしいメロディの「乙女の祈り」も、どこかで聞けば私はゴミ収集車を思い浮かべるだろう。収集日の午前中
2024年12月21日読了時間: 5分


「腕時計の針が」
休日、鎌倉には家族連れがたくさん訪れる。子どもたちが海辺をかけまわったり、小町通りで食べ歩きしたり。元気に動き回る姿がかわいらしくてつい目で追っている。 気がついたのは、小さな腕にはめている腕時計だ。けっこう見かける。カラフルな色でデザインもかっこいい。今は小学生でも腕時計を持っているんだなあ、と昭和に育った私は驚いている。 昔は気軽に買える値段の時計はなかったし、子どもが持つものではなかった。私が腕時計を買ってもらったのは高校に入学するときだ。たぶんどの家庭もそうだったと思う。真新しい学生カバンを持ち、左手首に時計をすると、おとなにならなくちゃという気分になった。もしなくしたら、こわしてしまったら、と最初は不安だった。 そのころ星新一のショートショートが流行っていて、私も夢中になって読んでいた。しゃれたユーモアと風刺、クスッと笑いゾクッと恐くなる不思議な短編ばかり。その中に腕時計がテーマの小説があった。ひと目惚れして買った腕時計を大事にメンテナンスしていた男性。いつも正確に時を刻んでいたのに、旅行に行く朝に時計の針が遅れてバスに乗り遅れてしまう
2024年11月21日読了時間: 5分


「新紙幣であれこれ」
久しぶりに銀行のATMでお金をおろした。もしかしたら、と期待して機械からお札をとり出すと、わ、うれしい。新しく発行された紙幣が混じっていた。 1万9千円おろしたうち1万円札が新紙幣で、千円札は1枚だけだった。宝くじに当たったみたいな気持ち。銀行のATMでもまだ全部新しいわけではないようだ。 20年ぶりの新紙幣発行。発行日の7月3日には大勢の人が行列して両替する様子がテレビに映し出されていた。それから2カ月近くたって、私はやっと手にしたことになる。おや、もうとっくに新紙幣でやりとりしていますよ、とおっしゃる方がどれくらいいるかわからないが、現金を使うことが少なくなったせいで、これまで目にすることもなかった。 どれどれ、家にもどってじっくり観察した。第一印象は、10000と1000の数字が大きくて目立つこと。そのせいかおもちゃのお札に見えてしまうが、これは慣れていないからでそのうち気にならなくなるのだろう。 画期的なのは3Dホログラムだ。1万円札を動かすと渋沢栄一の顔がぐうっと正面を向いてきて目が合う。よくできている。何十年も前、ディズニーランドのホ
2024年10月15日読了時間: 5分


「塩水メダカ」
暑い夏だった。いえ、まだ残暑も長そうだ。今年は厳しい暑さとの長期予報だったから覚悟はしていたが、覚悟したからといって暑さをしのげるわけではない。 人だけでなく自然界もバテている。気のせいかセミの鳴き声も元気がないようだ。庭のヤマボウシは茶色に葉焼けしてしまった。 ペットも大変だろう。犬の散歩は陽がかげる夕方に出かける人が多い。歩道はまだ熱がこもっているから、大型犬は長い舌を出してフーフーがんばっている。 うちは犬も猫もいないが、心配なのは庭の睡蓮鉢で飼っているメダカだ。よしずを掛けて陽をさえぎっているが、20匹はいたのに半分に減ってしまった。 メダカ飼育歴は長い。20年以上前に東京のマンションで飼い始めた。小さな水槽に水温計とフィルター、ヒーターを取り付け、至れり尽くせりの過保護なペットだった。 鎌倉に住むようになり、夫がひとかかえもある素焼きの鉢でビオトープを作った。 備前焼の睡蓮鉢がメダカの住みか 最初は鎌倉特有の遺伝子を持つ「鎌倉メダカ」を飼いたいと思っていた。野生の鎌倉メダカは絶滅しているが、滑川水系固有の純粋な鎌倉メダカと推定される種が
2024年9月10日読了時間: 5分


「たばこ」
晴れた朝にベランダで洗濯物を干す。真っ白なシーツが潮風にはためいて気持ちいい。 ときおりパラパラ音を立ててヘリコプターが飛んでいく。手をふればお互いが見えそうに近い。天気のいい日に空から湘南を眺めたら最高だろう。葉山、逗子、鎌倉の海、江の島を巡って富士山も眺められる。 青空を横切るのは、遊覧飛行のスマートなヘリコプター。夏休みの海の賑わいを伝えるテレビ局のヘリコプター。それに、軍用機もよく目にする。低空で飛んでいるから2機、3機と連なるとあたりに轟音が響く。 有事の際には——、とふと思う。どれだけの軍用機が飛び交うことになるのだろう。8月に入るとそんなことを考える。 太平洋戦争のとき、湘南の上空にはたびたび敵機が飛来したという。鎌倉に住んだ大佛次郎の「敗戦日記」には空襲警報が発令されたことや、高射砲声が窓ガラスを震わせたことがひんぱんに記されていて、鎌倉の人たちの恐怖と不安な日々がうかがえる。 私の生まれ育った新潟県長岡市は、1945年(昭和20年)、終戦の年に大空襲で焼け野原となった。ひと晩で市街地の八割が焼け、1488人の命が失われた。パール
2024年8月10日読了時間: 5分


「ホタル」
初めてホタルを見たのは、7、8才だった。鮮明に覚えている。 私が生まれ育ったのは新潟県長岡市の中心部で、1965年(昭和40年)ころの街中の川はホタルが住めるような環境ではなかった。 夏休みになると、毎年母方の実家でしばらく過ごした。市内から車で30分も走れば田んぼが広がる。祖父の家は山間にあり、近くに雪解け水を運ぶ川が流れていた。 私はひと夏で真っ黒に日焼けした。オニヤンマを追いかけ、目の前をすり抜ける蛇に足がすくみ、近所の子から笹笛の吹き方を教わった。 昔は暑くてもうちわで涼をとるくらいだったが、川に面した部屋は川風が入ってきて涼しかった。私はそこで昼寝をするのが好きだった。 夜も窓は開けっぱなしだった。座敷に布団を敷いて蚊帳を張って寝た。 布団に入ったものの、まだ妹とおしゃべりをしていると、ホタルが1匹、部屋に迷い込んできた。ぽーっと光って消え、またぽーっと光る。 「お母さぁん、お父さぁん、おじいちゃん、おばあちゃん、ホタルがきた!」 蚊帳から飛び出して叫んだ。 ダメだよ大きな声を出しちゃ、ホタルがびっくりするから。そう言われて廊下に出てみ
2024年7月10日読了時間: 5分


「雨傘」
ムシムシ、ジメジメ、そろそろかなあという時期になると、スーパーやドラッグストアでは湿気対策グッズが山積みになる。梅雨入り間近。顆粒状の除湿剤や「水がたまったらおとりかえ」の容器タイプ、引き出し用のシートタイプ。様々な種類の商品は、東京の店よりずっと数が多い。みんな苦労しているのだ。 鎌倉は湿度が高いとは聞いていたが、これほどまでとは思っていなかった。海から入る潮風と、谷戸の湿気がこもりやすい地形のせいだろうか。引っ越してきたころ、梅雨の終わりに下駄箱を覗いて目を疑った。スニーカーにカビが生えている。大切なハイヒールも白いフワフワしたものが……。湿気に強い家作りをしてもらったが、それでも連日80パーセントを越える湿度には太刀打ちならず。その年以来、梅雨前に下駄箱やクロゼットを念入りに掃除して、湿気取りをあちこち大量に設置。準備万端整えて梅雨入りを待つことにしている。予報では、今年の梅雨入りは平年並みだが、梅雨明けは遅いという。湘南の住民の湿気との闘いは長くなりそうだ。 梅雨の日常は住んでいる人にしかわからないもの。紫陽花を見に訪れる人たちは、雨が降
2024年6月10日読了時間: 5分


「人工音声」
テレビニュースで人工音声が増えている。 アナウンサーが「ここからは人工音声でお伝えします」と断りを入れると、コンピューターの作った声にバトンタッチ。ニュース映像の画面の隅に「AI自動音声でお伝えしています」と表示が出る。数年前までは不自然な棒読みだったが、最近はずいぶん聞きやすくなった。 よく聴いている湘南ビーチFMも、人工音声でのニュースが普通になっている。ちょっと前に名前があるのに気がついた。柔らかい発音でよどみなくニュースを伝え終わると、声は名乗った。 「このニュースは株式会社エーアイのふみのいっせいがお送りしました」 ええっ、ふみのさん?と驚いた私だが、なにを言ってるの、もうあたりまえですよ、と笑われた。そういう時代になっているらしいのだ。 ふみのいっせい。「文野一成」さん、だそうだ。名前がつくと急に人格が備わって実在する人のような気がするから不思議だ。文野さんは人工音声のプロダクションに所属している。プロダクションには声質の異なった何人(?)ものバーチャルアナウンサーがスタンバイして、企業や放送局の依頼で派遣されるという。...
2024年5月10日読了時間: 5分


「お花見」
できれば庭に桜が欲しいね。家を建てるときに話していたが、「桜は枝を広げるので相当広い土地がないと——」と庭の設計士さんにアドバイスされた。桜のためにも植えなくてよかった。 お向かいさんの桜の木を見ているとわかる。南向きの広い庭で、私たちが引っ越してきたときにはすでに大木だったが、それから15年経ってさらにひと回りもふた回りも成長した。 おおらかに四方に枝が伸びた分、年々花も華やかさを増している。うちの玄関を出ると、道を隔てて薄紅色のソメイヨシノが広がっているなんて最高だ。 出がけに旦那さんや奥さんに会うと毎年恒例の挨拶をかわす。 「今年も楽しませてもらってありがとうございます」 「いいえ、花びらが風でそちらにまで散ってすみません」 とんでもない。少しも気にならない。桜は咲いているときだけでなく、ハラハラと散っていく姿も、玄関前の石畳に無数の花びらが貼りついているのも、美しい。 お向かいさんの桜は、娘さんが生まれたときに植えたという。それから何十年も過ぎ、娘さんは結婚し、生まれた子どもさんたちもすっかり大きくなった。家族とともに年月を重ね、見事な
2024年4月10日読了時間: 5分
*ここに掲載したエッセイは、月刊『かまくら春秋』に収録され刊行・発売されている作品です。無断使用・転載・複製を禁じます。


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