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「竹の音」

晴れた日、和室の障子戸に竹の影が映る。隣の家との境に植えた布袋竹(ほていちく)だ。しなりながら揺れる枝や葉の影絵は、見ていて飽きない。サヤサヤ、サワサワ……。目で感じる風薫る季節だ。


竹は成長が早い。地面の玉砂利を押しのけてタケノコが出てくると、数日後には腰くらいの高さになっている。そうなる前、十センチくらいの時に見つけたら、ポキッと折ってキッチンへ。火で炙って皮を剥く。食べられるのは小指くらいの太さだが、コリコリした歯ごたえと風味がある。ちょっとうれしい。毎年二本か三本のごちそうだ。


ふだん私たちの食卓を彩るタケノコは、もっと太い孟宗竹(もうそうだけ)だ。青果店にはまず九州産から並び始める。タケノコ前線が北上して、地のタケノコが盛りになるのを待って買う。炊き込みご飯に土佐煮、若竹煮。姫皮もかき玉汁でいただいて、毎年季節を味わっている。


ここ数年で一番おいしかったのは、鎌倉のあるお寺で採れたタケノコ。思いがけずひとつおすそ分けしてもらった。手のひらに乗る大きさで、刺身で食べたら柔らかくて香りが強くて。それ以来、鎌倉のお寺で竹林を見るたび、ここにもタケノコが出てくるんだろうなあ、とあのときの味がよみがえってくる。


鎌倉では報国寺が有名だが、竹林を楽しめるお寺はいくつもある。青々した竹が空に伸びる姿は清々しい。木漏れ日を浴び上を見ながら歩くと、自分が緑色に染まっていくようだ。


ふと地面に目をやると、竹を刈り取った跡がいくつも残っている。タケノコを採った跡ではなく、成長した太い竹だ。地表から数センチでスパッと切られた竹は切り口が輪になったまま。


竹林が美しいのは、一本一本の間隔が広くて整然と並んでいるからだ。日ごろ手入れをしているからこそ見事な竹林が目を楽しませてくれる。


山に放置されている竹林も見かけるが、竹が密集して息苦しそうだ。葉っぱの色も悪い。


そんな地元の竹林を伐採し整備することから始め、竹を暮らしの中で生かすという活動をしている鎌倉竹部(たけぶ)という市民団体を知った。


先日、鎌倉竹部のイベントに出かけてみた。会場は北鎌倉の浄智寺だ。


竹アートで飾られた浄智寺の境内
竹アートで飾られた浄智寺の境内

いつもの浄智寺とは雰囲気が違う。お寺は山門から竹細工でおめかししていた。細い竹で編んだボールがいくつもぶら下がって、来る人を迎えている。


境内では竹編みランプシェードや楽器作りのワークショップが開催され、竹グッズも売られていた。竹籠などの日用品や、竹炭せっけん。竹から作ったノートや折り紙、猫トイレ用の竹ペレットなんてのもある。竹から紙やペレットが作れるの?と感心したが、竹の有効活用がもっと知られるようになるといい。


イベントにはたくさんの人が訪れていた。子どもたちは自分で作った竹の鈴をシャカシャカ鳴らしてうれしそうだ。


境内に素朴な笛の音が聞こえてきた。明るく調子のいい曲。ジャズのスタンダードナンバーで知られる「茶色の小瓶」だ。笛は、竹で作ったバンブリーナという名前だそうだ。十センチくらいの竹にいくつか穴が空いている。オカリナの澄んだ音色より少しくぐもって、落ち着いた音だ。


竹アートで飾られた境内にバンブリーナの音が流れ、子どもたちが駆け回る。ゆったりと時間が過ぎていく日曜日。居心地が良かった。


日本古来の笛は竹でできていた。雅楽の演奏に欠かせない「笙(しょう)」、「篳篥(ひちりき)」、「龍笛(りゅうてき)」など、飛鳥時代から奈良時代にかけて日本に伝わってきたという。


笙を間近に見る機会があった。これまで雅楽の演奏会で聴いたことはあっても遠目に眺めるだけだったから、興味津々だ。


なんて美しい楽器、とまず姿に圧倒された。長さの異なる細い竹が束ねられ、お椀のようなものに差し込んである。そのお椀に蒔絵が施されている。床の間に飾りたくなる芸術品だ。


奏者はお椀を両手で包むように持って、息を吹き入れる。いえ、吹いても吸っても音が出るのだそうだ。それで息継ぎをしなくても長く奏でられるのか、と気がついた。ハーモニカやリコーダーには親しんできたのに、日本の笛については知らないことだらけだ。


少しだけ音を聴かせてもらった。不協和音が応接室に響いたとたん、浄化されたように空気が変わった。ソファに座っていた私は思わず姿勢を正した。


笙がヨーロッパに渡ってパイプオルガンが生まれた、と聞いてまた驚いたが、楽器の原理は同じだ。それに笙を巨大化すると、まさにパイプオルガンになる。


家に戻ってから思い出した。竹でできたパイプオルガンがある教会を訪れたことがあった。


フィリピンのマニラ近郊の街にある教会。世界最古とみられる竹製のパイプオルガンは、二百年の間修復を重ねながら演奏されている。


重厚な教会の聖堂は装飾が少なく薄暗かった。二階部分に設置されているパイプオルガンを見上げると、金属のパイプの代わりにくすんだ茶色の筒が並んでいた。確かに竹だ。一本一本に節の跡が残っている。


聖堂の長椅子に座って演奏を聴いた。その音色はやわらかくて、音に幅がある。ヨーロッパの教会で聴く金属のパイプオルガンのような荘厳さときらびやかさとは無縁の、ただやさしくてあたたかい感触……。


聖堂の天井は飴色の細い竹で覆われ、長椅子も竹製だった。私はパイプオルガンの音に包まれながらどこかなつかしさも感じていた。

 

いま、私の家で使っている竹は、と考えると――。キッチンにたくさんある。ザルに蒸籠(せいろ)にヘラや鬼おろし。家の中を見回せば、花籠やすだれに、うちわ、脱衣籠も竹だ。ただ、楽器はない。


庭の竹垣を作ってもらったときに、庭師さんから余った短い竹をもらってある。あれでバンブリーナが作れないだろうか。むずかしそうだけれど。

星野知子が描いたカタツムリのイラスト

Maison d’un Limaçon

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