「かたつむり」
- 文と写真 星野 知子|Tomoko Hoshino
- 6月21日
- 読了時間: 5分
でんでんむしむし、かたつむり、と歌っても、かたつむりは虫ではありません。貝の仲間。
梅雨時に、濡れた葉っぱをひっくり返す。ツノがきゅっとちぢんでコロンとした殻に身を隠す。子どものころは親しい遊び友だちみたいな存在だった。
私の家の中にはたくさんのかたつむりがいる。小さな置物、お皿やハンカチ、アクセサリー、絵、本も。赤ちゃんを乗せるかたつむりの木馬まである。
かたつむりの形のものをコレクションしてから四十五年以上になる。数えたことはないが、二百くらいはあると思う。
最初のひとつはハワイのホテルで買った。海の貝殻とガラスでできた小さな飾り物。ひと目ぼれだった。それから、国内外を旅行するたび記念に買って増えていった。不思議なもので、みやげもの店に入ると「あ、ここにはいる」と気配を感じる。引き寄せられるように店内を進むと、奥のショーウィンドウのかたつむりと目が合って、「私を買ってね」と言われているような気がする。
ただ、なんでもいいというわけではない。マンガっぽくないもの。美しいもの。高価ではないもの、と決めている。
イタリアの色鮮やかなベネチアガラス、ポーランドの琥珀(こはく)、沖縄の琉球ガラス、秋田のわら細工。素材も形もさまざまだ。
旅はただでさえ荷物が多いから、持ち帰るのに苦労することが多い。ニューヨークで見つけたガラスの小さな飾り物は、ツノが細長くて繊細で買わずにはいられなかった。脱脂綿でやさしく包み、小箱に入れてそっと持ち帰ったが、家で開けたらツノが片方折れていた。ゴメン……。悲しかった。
パリでは石膏でできた大きなオブジェを買ってしまった。カバンには入らず、膝掛けにくるんで紐で縛り、アヒルを抱きかかえるようにして空港に行った。当然、検査官は「中を見せて」と言う。台の上のかたつむりは、ひっくり返され、体のあちこちをコツコツたたかれ、真鍮(しんちゅう)でできたツノを引っ張られて、無罪放免。無事家に連れ帰ることができた。
旅の記憶はだんだん薄れるものだが、我が家のかたつむりたちが私を刺激してくれるので、思い出はいつでもよみがえる。それがうれしい。
なぜか勘違いされていたことがある。
同郷の俳優、高橋克実さんと初対面の挨拶をしたとき、開口一番ニコニコ顔で言われた。
「星野さんはなめくじがお好きなんですってね」
はい? 誰から聞いたのか、どうしてそういう情報になったのか。なめくじとかたつむりは似て非なるもの、ですよね。大笑いだった。
ちなみに、かたつむりが進化してなめくじになったのだそうだ。ずっと逆だと思っていた。なめくじのほうが原始的な気がする。祖先は共通で、殻がなくても生きていけるように殻が退化していったという。
かたつむりグッズを集めることで、そんな雑学にも詳しくなった。たとえば、かたつむりの殻はほとんどが右巻きで、左巻きを見つけたらラッキーだとか、カタツムリの粘膜は古代ギリシャの時代から皮膚の保湿や炎症を鎮めるために使われていたとか。韓国コスメで人気の「かたつむりパック」の原点は古代ギリシャまでさかのぼるらしい。
イングランドの小さな村では、「世界かたつむり選手権」が開催されている。白い布をかけたテーブルで三十三センチの距離を競う。村人の大声援の中、これまでの記録は二分二十秒。ギネス世界記録に登録されている。あくせく暮らしている人間社会だから、たまにはかたつむり時間に身をまかせるのもいいかもしれない。いつか私も参加してみたい。
大切なことばにも出会うことができた。マハトマ・ガンジーの名言だ。
「善きことは、かたつむりの速度で進む」
何度も読んでかみしめた。イギリスの植民地政策に抵抗した「塩の行進」で、長い杖を持って歩くガンジーの姿が思い浮かぶ。私のコレクションは「もの」だけでなく、「ことば」も心の飾り棚にしまってある。
ここ十年くらいは、かたつむりグッズが増えすぎて飾る場所がないので、もう増やさない、もう買わない、と我慢していた。でも、ひとつだけ仲間入りした。
このエッセイが掲載されている「かまくら春秋」の表紙は、高橋幸子さんの味わい深い版画だ。毎号楽しみにしているが、なんと昨年の六月号が、かたつむりの絵。これは何かの縁、一枚譲り受けた。
すっくと立つ(?)かたつむりに、空の半月。添えられた一句は小林一茶だ。
夕月の 大肌ぬいで かたつむり
蒸し暑い夏、月が空に昇るころに、さあて夕涼みでもしようか、と殻からグイィッと体を伸ばす。かたつむりの体はよく見ると意外にたくましい。浴衣姿の粋な男性が諸肌脱いで、のイメージか。生命力あふれるかたつむりの一面だ。
さて、どう飾りましょうか。小ぶりの掛け軸にしてもいいし、額装も合う。北鎌倉の知り合いの表装家に相談して、着物の生地を使うことにした。母方の祖母の着物だ。洗い張りしてとっておいたが、百年以上前の布だから弱っていて着物には仕立てられない。丈夫そうな部分を使ってもらった。
渋めで落ち着いた額ができあがった。梅雨の時期にぴったりだ。
生き物としてのかたつむりが好きなわけではないが、長年コレクションしていると、影響を受けているかもしれない。かたつむりはバックできないのだそうだ。後戻りせず、歩みは遅くてもひたすら前に進む。危険を察したら殻に閉じこもって時期を待つ。そんな生き方もいいなと思う。
