「米賛歌」
- 文と写真 星野 知子|Tomoko Hoshino

- 9月20日
- 読了時間: 5分
そういえば「えの田(でん)」はいつなくなったのだろう?
江ノ電の鎌倉駅、到着ホーム脇に小さな田んぼがあった。畳数枚くらいの大きさで、たしか古代米を作っていた。愛嬌のある案山子(かかし)が立っていて、電車から降りるたびに稲の成長を見るのが楽しみだった。刈り取った稲は天日干しで、鉄道会社の田んぼならでは、干し場が踏切の遮断棒でできていた。今は、一面雑草が生い茂っている。
「えの田」を思い出したのは、久しぶりに生まれ故郷の長岡に帰ったからだ。
八月の初め、新幹線で新潟県に入ると青々とした田んぼが広がっていた。早場米はもう新米が出回っているが、新潟の、それも山間部のコシヒカリの刈り入れは例年九月中旬から十月にかけて。田んぼが黄金色に波立つようになるのはもう少し先だ。

車窓からは瑞々しく見えるが、この夏は早くから猛暑が続き、長い水不足のあとに急激な大雨となった。米の出来が心配だ。稲穂がびっしり重く実をつけて収穫の時期を迎えてほしいと願っている。
米どころ新潟で生まれた私は、コシヒカリを食べて育った。今のようにブランド米なんて言葉はなかったし、普段、地元で採れる野菜や魚を食べるように、お米も近くで作っていたのがコシヒカリだった。
去年から令和の米騒動と言われるほど、米の品薄と価格高騰が問題になっている。
「米は買ったことがない」と発言して辞任した大臣がいた。支援者の人たちからもらった米が、家の食品庫に売るほどあるということだった。米の値段が高騰し、誰もが政府の政策にいらだっていたときになんと無神経な発言をしたのだろう。そう思いつつ……。大きな声では言えないが、私も数年前まで米を買ったことがなかった。高校を卒業して東京でひとり暮らしを始めてから、ずっと実家から送ってもらっていた。東京の大学に進んだ長岡の同級生も、たぶん同じだったと思う。
実家は農家ではなく、家は繁華街に近かったので、田んぼの風景は日常生活にはなかった。ただ、昔は田舎から親戚や知り合いが訪ねて来ると、手みやげは米や野菜だった。遠くから風呂敷でしょって来てくれた。母はお礼にお金も渡していたようだが、田舎にはない出前のラーメンやお寿司が喜ばれた。米どころのおつきあいはそういうものだった。
新米の時期になると、あちこちから精米したばかりの米が届いた。届けるほうも、もらうほうも、ちょっとしたお祭り気分。真っ白な炊きたてご飯を味わって、収穫の秋をみんなで祝っていた。
米は、農作物の中でも特別だ。「お百姓さんが一生懸命作ったんだからね」と言われ、米を研ぐときにはひと粒も流さないように気をつけた。「米粒を無駄にするとバチがあたる」とも言われた。稲の歴史は神話の世界までさかのぼる。稲穂は天照大神(あまてらすおおみかみ)の命により地上に授けられた大切なものだ。
だからというわけではないが、駅弁のフタを開けたら、まず紙のフタの裏についたご飯粒を箸できれいにとって食べるほうだ。電車の中ではお行儀が悪いと思われないか周りを気にするが、フタの裏のご飯粒をそのままにはできない。あ、でも、フタにご飯粒がつくような駅弁に久しく出会っていない。容器が改良されたのか。ひと粒ひと粒箸でつまめないのは、ちょっとさびしい。
故郷の昔ながらの米のやりとりは親の世代までの慣習だった。両親が他界し、米を送ってくれていた人たちも高齢だったり亡くなったりして、我が家に米は届かなくなった。自分で買ってみると、米の値段の高さに驚いた。ちょうど急激に価格が上がりはじめたころだ。
そして、米不足。店の米売り場に「おひとりさま一点限り」と張り紙が張られた。陳列棚はすかすかだった。主食が消えるなんてことがあるの?
続いて、備蓄米の放出となった。ニュースでは朝早くから行列して備蓄米を買う様子を放送していた。施設や病院、子ども食堂など本当に必要としている人たちに行き渡ったあとに私も食べてみたいと思っていたら、最近ようやく手に入った。令和四年産の古古米だ。
どれどれ、袋を開けたときに小糠(こぬか)のようなにおいが少し気になる。米粒の大きさはムラがあるようだ。いつもと同じに焚いてみた。ほほう……、それは魚沼産コシヒカリとは別物だ。でも、予想外においしい。カレーやチャーハンで食べれば大丈夫、などと報道されたこともあるが、いやいや、堂々と食卓に登場できる品質だ。
普段は和食中心の食事をしているが、三十代、四十代のころは長期に海外を旅して、日本食のないような地域に行くことが多かった。ご飯を食べない日々が続き、たまに小さな中華料理の店に入ると、お茶碗に盛った白米に感動した。ベチャベチャでもパサパサでもおいしくて、長旅で疲れた胃にすんなり入っていった。
フランスの寿司店でシャリがとびきりおいしかったのも忘れられない。てっきり日本から輸入していると思ったら、「うちの米はイタニシキなんですよ」とのこと。リゾットの国イタリアで、もっちりふっくら日本人好みの米が作られていた。
人生最後の食事に何を食べたいか、という究極の選択がある。三番目は決まっている。もりそばだ。刻みネギとワサビを少々、冷たいおそばをツルツルッと喉に流したい。一番と二番はずっと迷っている。「梅干しのおにぎり」と「卵かけご飯」。どちらも甲乙つけがたい。おにぎりの具はサケもタラコも大好きだが、最後となればやっぱり梅干しだ。一方の卵かけご飯は、炊きたてを茶碗によそって、真ん中を少しへこませたところに卵を割り入れる。箸でほっくほっくとかき混ぜてお醤油を少々。ふわっと泡立った淡い黄色がたまらない。
人生最後までに、どちらかに決めよう。そのときはコシヒカリでも、備蓄米でも、輸入米でもなんでもありがたくいただくに決まっている。


