「マナーアップ」
- 文と写真 星野 知子|Tomoko Hoshino

- 2026年1月1日
- 読了時間: 5分
更新日:1月5日
歩いて行ける範囲に神社がいくつもあるのは鎌倉ならでは。散歩がてらの初詣は毎年のことだ。お正月の境内は晴れ晴れとした「いい気」につつまれている。
昔は欲張っていくつもお願いをしたが、今は元気で新年を迎えられたことに感謝して、「家族が健康でありますように」「災害が起きませんように」と、手を合わせてお参りする。
小さな神社でも観光客は多く、年々増えているようだ。年初めに古都鎌倉を訪れたい気持ちは、わかる。
去年のお正月、境内の手水舎(ちょうずや)でひしゃくを持つ私の手を見ている視線に気がついた。東南アジアからだろうか、女性のグループだ。私が水を汲んで手を洗い、口をすすぐのを真似している。神妙な面持ちだ。「水は飲まないのよ」と身振りで教えるとニッコリうなづいた。日本の伝統的なしきたりを真摯に試みてくれるのはうれしい。一方で、手水舎に平気で手を突っ込む若者を発見。とっさに「それはダメ」と声が出てしまった。
観光客のマナーの悪さが目立っている。人が何倍にも増えると、マナー違反はそのまた倍になるのだろうか。
先日、駅の近くの海産物店で、レジの大きな張り紙が目についた。「お客様へお願い」とある。
「銭洗い弁天で洗った、濡れたお札は当店のレジではお取り扱いできません」
意味がわからなくて、もう一度読んだ。あ、お札を濡れたまま持ち帰りたくなくて、このお店で使ってしまおうという魂胆か。そんな失礼な人がいるの? ひとりやふたりだったら張り紙までしないはず。英語や中国語で書いてないから日本人の観光客だろう。お金を増やしたいと銭洗い弁天で祈願しても、そんなことをしたら御利益がないに決まっている。
「大変ですね」
思わず店員さんに声をかけたら、ハーッとため息交じりに苦笑した。なんだか、いろいろ疲れているのが察せられた。
近隣住民が気の毒なのは、江ノ電の鎌倉高校前駅近くの踏切だ。
青く広がる海を背にトコトコ走る電車が鮮やかで、絵になる風景。のどかな眺めにほっこりしたものだ。
数年前からそんな風情はなくなった。人気アニメにこの踏切が登場してから、ファンにとっての聖地になっているという。平日でも人でごった返し、道の真ん中に飛び出したり線路に入って写真を撮ったり。車で通りかかるとあぶなくて恐い。ゴミやトイレの問題、騒音トラブル、私有地への無断立ち入り。静かな住宅街だったのに……。
鎌倉市が対策を始めた。写真撮影スポットを設置し、観光客を誘導する。ゴミ箱を用意して、他の場所に捨てないようにする。一定の成果は表れているというが、お金もかかるし人手も必要だ。それに強制するわけにはいかない。
ただ、この対応の寛容な点には拍手したい。踏切前に注意書きの大看板を掲げるとか、フェンスを作って景色が見えないようにするなど、観光客を阻止しようという方法ではない。その辺の思いやりを観光客にはわかってもらいたい。まずは、聖地巡礼と言うなら敬意をはらうべきですよね。
記憶をたどると、私も思い当たることがある。
イタリアはローマのスペイン広場の階段。映画「ローマの休日」で、オードリー・ヘプバーンがジェラートを食べる有名なシーンの場所だ。観光客は石段でジェラートを持って写真を撮るのが定番だった。
20代だった私もヘプバーンになりきってジェラートを手に石段を登っていった。見晴らしがいい場所で腰掛けて、ひと休み。ジェラートを舐めながらローマの歴史ある町並みを見下ろした。幸せなひとときだった。
今はもうそれができない。スペイン広場の階段での飲食は禁止、座ってもいけない。見張りの警官がいて注意され、罰金を科せられることもあるそうだ。あまりにも大勢の人たちが押し寄せて、大理石の階段はジェラートや食べ物の汁で染みになり、噛んだガムがそこら中に貼り付くという深刻な状態に。修復はされたが、維持していくための禁止措置だ。
あのとき、私は自分のいる場所が文化的建造物だと意識していなかった。「ローマの休日」の舞台に来た!映画のままの階段だ!と、うれしかっただけだ。初夏の汗ばむような日で、溶けたジェラートが石段に垂れても気にしなかったと思う。きっと他の場所や他の国でも同じようなことがあったはず。反省している。
マナーアップリレーという取り組みをJR鎌倉駅が行っている。駅の構内で毎日「マナーを守りましょう」と観光客にメッセージを流すキャンペーンだ。鎌倉市にゆかりのある人が声を担当し、月替わりでリレーしていく。この1月は私が務めることになった。鎌倉市国際観光親善大使に任命されていることもあり、マナーアップには協力したい。

このキャンペーンの企画からメッセージの録音、ポスター作成まで担っているのは、駅員さんたちだ。担当業務の合間の時間を使って作業しているのだそうだ。ポスターのレイアウトをどうするか、今回はお正月らしい内容にしよう、英語のバージョンも欲しい、と意見を出し合って進めている。
メッセージは駅の応接室にマイクを置いて録音した。
駅構内はすごい喧噪なので負けないよう元気にお願いします、ということで、私は大きな声を張って観光客に呼びかけた。
「お互いに思いやりをもって、マナーを守った行動をしていきましょう!」
駅の中で聴いた人が少しでも気にしてくれたら、と願いをこめた。
今年も大勢の観光客が鎌倉を訪れることだろう。住人が暮らしづらくなっているのは事実だ。電車も道も混んで、迷惑行為が後を絶たない。
でも——。江ノ電の電車が鎌倉駅に到着すると、ホームで列をなして待っていた観光客は笑顔になる。電車が来たー、と写真を撮り、大人も子どもも顔が輝いている。JRのホームでも、電車からドドッと降りる大勢の人たちはウキウキと急ぎ足で改札口に向かう。その顔を見ると、ようこそ鎌倉へ、とやはり歓迎したくなる。


