「原稿用紙愛」
- 文と写真 星野 知子|Tomoko Hoshino
- 4月21日
- 読了時間: 5分
ピッカピッカの、1年生! ずいぶん前に流行ったテレビCMだ。4月に真新しいランドセルを背負った子どもたちを見かけると、いつもこの歌を口ずさんでしまう。
最近はリュックの生徒も多いが、カバンの中には新しい教科書とノート、筆箱が入っているはず。国語に算数、道徳に音楽。1年生は未知の世界が待っている。
作文を書くのも小学生になってからだ。昔はいろいろあったなあ。夏休みの宿題の読書感想文、遠足の思い出。将来の夢。今の子どもたちも鉛筆を握りしめて書いているのだろうか。
私は作文が好きだったわけではないが、原稿用紙に字を埋めていくのは楽しかった。ひとマスずつ文字を入れて、段落を変えて、一枚書き終わると達成感があった。
原稿用紙には思い入れがある。35年前、初めて出版した本『濁流に乗って〜欲望の大河アマゾン』を書いたのは原稿用紙だった。テレビの紀行番組で訪れたアマゾンの旅を一冊の本にまとめたものだ。
私にとっては執筆というより作文を書くのと同じ作業。コクヨの400字詰め原稿用紙に鉛筆で書いては消しゴムで消し、苦労した。鉛筆の芯が減ると、小学生のときからずっと使っている手回しの鉛筆削りでゴリゴリ削った。
原稿用紙350枚。書き終えると分厚い束になった。1か月半の旅を書くにはそれでも足りないくらいだった。長さ6300キロもあるアマゾン川を船で遡り、ジャングルの中で寝泊まりし、現地の人々と過ごした日々だ。
本が出版されたあとに、編集者からすてきなプレゼントを渡された。私の原稿を綴じて装丁してくれたのだ。私は世界にたったひとつの大きな本を抱きしめた。

今は、パソコン入力で原稿を書いている。ただ、書き始めは鉛筆だ。頭に浮かんだものを紙にざっと書いていく。書いては消して、机の上の鉛筆削りも現役だ。基本は変わっていない。
これまで書いた本はどれも愛着があるが、手書きの原稿が残っているのは最初の一冊だけ。私の宝物だ。
手元に近代作家の直筆原稿を集めた厚い本がある。登場する50人の中には、鎌倉とゆかりのある作家が何人もいる。
夏目漱石の有名な原稿用紙は、龍の顔に挟まれた篆(てん)書文字「漱石山房」がモダンだ。漱石の文字は右肩上がり。短気で神経質だったというが、文字にも表れているかしら、なんて想像したりして。
大佛次郎は、「おさらぎ」と銘入りの400字詰めだ。大きくてゆったりした文字の原稿は、見ていると晴れやかな気持ちになってくる。
芥川龍之介と久米正雄は、老舗の松屋製の原稿用紙。芥川は200字詰め、久米は400字詰めだ。芥川の文字は小さくて丸い。特にひらがなの「る」や「と」はひとマスの10分の1の大きさしかなくてかわいらしい。
どの原稿も線で消したり何度も書き直したり。一冊の本になるまでの険しい道のりが垣間見える。活字になったら感じることのできない人間味がにじんでいる。
1987年に亡くなった澁澤龍彦も鎌倉に住んでいた。
高台に建つお宅にお招きいただいたときはうれしかった。物書きの夫は、若いころに『高丘親王航海記』を読んで以来のファン。鎌倉に越してきてからお墓参りに行っている。私は15年前に出版された、集英社新書ビジュアル版『澁澤龍彦〜ドラコニアワールド』の写真を見て衝撃を受けていた。家の中は澁澤龍彦の収集した魅惑的で妖しげなものでいっぱいなのだ。長年憧れていた澁澤邸に向かう坂道を、私たちは心はずませて上った。
龍子夫人がにこやかに迎えてくれた。リビングも書斎も私が見た本の写真と変わっていない。キャビネットの中の髑髏(どくろ)も、四谷シモンの少女人形も、金子國義装幀画の作品「エロティシズム」も。本棚に入りきらない本が床に積んであるのも。
執筆していた大きな机にはペンやメガネなど愛用の品がそのまま置いてある。原稿用紙も載っていた。グレーの400字詰め、ルビ用の罫線はなし。直筆サインの銘入りで、「彦」がタツノオトシゴの形になっていてユニークだ。
夫が、ここで執筆されていたんですねと感慨深く原稿用紙を眺めて、あ、書いた跡が残っている、と身を乗り出した。紙がペンの筆圧でくぼんでいる。わ、すごい。澁澤龍彦の創作の跡だ。私たちは興奮した。
すると、龍子夫人が、
「ああ、それは、たぶん私が……」
と、申し訳なさそうに笑った。夫人はこの机の上で仕事をしているのだそうだ。まあ、いくら何でも澁澤龍彦のペンの跡が残っているはずがないのだが、あまりにも生前のままのお宅なので、早とちりしてしまったというわけだ。
書斎の窓からは鎌倉の山々が見渡せた。ここから澁澤の墓のお寺が見えるんですよ、と龍子夫人が遠くを指さした。こんもりした山にもうすぐ桜が咲くと、家から山桜のお花見ができるそうだ。鎌倉の山は、春になるとふわり、ふわりとピンクに色づいて心があたたかくなる。
澁澤龍彦は毎年、庭の牡丹桜を愛でていた。今は、桜が咲く山のふところで眠っている。
さて、作家たちの直筆原稿を楽しむ私だが、一般の高校生の作文を読むのもおもしろい。
JICA(国際協力機構)の高校生エッセイコンテストの審査員長を務めて17年になる。世界の環境や貧困問題と真摯に向き合う若者の文章に、毎回刺激を受けている。
10年以上前は、ほとんどが原稿用紙に手書きだった。年々A4の紙にパソコン入力が増え、前回は最終審査の20作品中、手書きは5つだけだった。時代の流れだろう。
審査は「行動力」「理解力」「構成力」などで厳正に。でも、手書き原稿を読むとき、筆跡や勢いから感じ取れる何かを排除することはできない。手書きのリズムは魅力のひとつで人間性が表れる。手書き原稿につい点数を加算している自分に気がついている。
原稿用紙と人の関わりが好きなんだなあと思っている。