「スギ花粉と杉の木と」
- 文と写真 星野 知子|Tomoko Hoshino

- 12 時間前
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散歩途中、海沿いの公園のベンチで潮風に吹かれていた。
若い女性が少し間をあけてとなりに腰かけた。小型の柴犬を連れている。その犬がグシュ、グシュッ、と鼻を鳴らし、前足をしきりになめている。どうしたのだろうと見ていたら、なんだか花粉症らしいんですよ、と女性は犬を抱き上げてお腹のあたりをさすってあげた。
まあ、犬も花粉症にかかるんですか、知りませんでした、と私。かわいそうに目も潤んでいる。お互いつらいわねえ、と声をかけた。
今年、花粉の飛散は昨年の1.5倍とか。こまったものだ。早い人は1月から始まっているという。
私の場合は毎年2月末にグスッときて、4月半ばにピークを迎え、5月のゴールデンウィークとともに収束する。それほど症状は重くないが、くしゃみに鼻水、目のかゆみ、とひと通りのつらさに襲われる。
鼻がムズムズッとくると、かわいらしくクシュン、なんてやっていられない。ハックショーン!と連続5回も珍しくない。家中に響くおやじのようなくしゃみに、夫がおやおや今日は大変だねえ、と気遣ってくれるが、その夫も負けずに大きなくしゃみをする。いつもは静かな我が家だが、この時期は騒がしい。
鼻や目だけではない。頭がボーッとするから、原稿を書くのも集中できない。まさに今、花粉症に悩まされながら花粉症の原稿を書いている。
花粉症とのつきあいは25年になる。最初の3年くらいは認めていなかったが、病院でアレルギーテストをしてもらった。違うとは思うんですけど一応調べてみたいのでと、くどくど前置きをして血液検査を受けたら、「はい、立派な花粉症ですね」と診断された。
アレルギーの項目はブタクサやヒノキ、ハウスダストなどたくさんあったが、私が反応したのはスギ花粉だけ、中くらいの程度だった。
それから杉の木が特別な存在となった。
鎌倉で暮らすようになって、海のそばだから花粉は少ないのではと期待していた。海風が花粉を吹き飛ばしてくれるだろうと。でも、症状は変わらなかった。それはそうだ。鎌倉はしっかり山に囲まれている。お寺にも杉の巨木は多い。海に向かって降りてくる風はスギ花粉をたっぷり含んでいるわけだ。
春にはなるべく山に近づかないこと。ただ、そういうわけにもいかない。知り合いが奈良の金峯山寺(きんぷせんじ)に案内してくれた。3月の花粉が飛ぶピーク時だ。
吉野山の中腹にある金峯山寺は古くから修験道の聖地として知られ、今も山伏が修行に励んでいる場所。町をはずれ、車で険しい山道を登って行った。右も左も杉の木が林立している。吉野杉の里だから当然立派な杉ばかりだ。
そのとき、スギ花粉を初めて目にした。どの木も緑の葉先に黄色の花をびっしり付けている。枝がしなるほどだ。それが揺れて、黄ばんだ粉が煙のように流れていく。
車の中で息を止めた。花粉の海に飛びこんだようなものだ。忍耐の数分間。でも、長年私を刺激してきた花粉の誕生に立ち会っているという、不思議な感動もあった。
杉林を抜けると視界が開けた。金峯山寺の蔵王堂がいかめしく聳えていた。
境内から眺める山々はほっこりやわらかな姿だ。ちらほら山桜が咲き始めている。4月には満開の桜がきれいですよ、と案内してくれた方が言う。吉野山は3万本もの山桜でピンクに染まる。
もうひと月遅く来たかった。私は吉野山で満開の杉の花を見て、花粉を浴びた。案の定、次の日は朝からくしゃみが止まらなかった。
花粉のない時期の杉の木は清々しい。岩手県の平泉にある中尊寺を訪れたのは11月だった。
中尊寺は極楽浄土を願って建立され、藤原三代が眠る金色堂など平安美術の宝庫だ。深い山の中、参道の月見坂は数百メートルもの上り坂。道の両側には杉の大木が続いている。
テレビ番組の撮影隊と私は早朝から月見坂で準備していた。参拝者や観光客が訪れる前の、静寂な映像を撮るためだ。

まっすぐに伸びる樹齢300年もの老木はうっそうと空を覆っていた。少しずつあたりが明るくなっても参道の中は薄暗く静かだ。厳かな雰囲気が漂っている。
撮影をしている間に霧が出てきた。杉並木は一層幻想的になった。
私はゆっくり杉林の中を歩いた。森の香り、フィトンチッドにつつまれて——。杉の木は空気だけでなく心も体も浄化してくれた。
時々は森林浴に出かけたいが、家でも森の精気を楽しめる。樹木系のエッセンシャルオイルは手軽に木々の中に連れて行ってくれる。
最近のお気に入りは糸杉の香りだ。雑貨店で見つけて迷わず買った。ゴッホの絵が思い浮かんだのだ。多くの作品で、よじれるように伸びる糸杉を自身の分身のように描いている。
少しスパイシーでさわやか、気持ちが落ちつく香りだ。あとで気がついたのだが、糸杉はスギ科ではなくヒノキ科なのだという。
杉でも檜でも花粉はやっかいなのに、香りになると傷んだ鼻の粘膜を癒やしてくれる。エッセンシャルオイルを鼻に近づけると、スーッと爽快で楽になる。頭のもったり感も薄れるようだ。糸杉よ、ありがとう。
杉は暮らしの中で親しみがある。自宅和室の天井は秋田杉だ。最近はやりの蒸籠(せいろ)は軽くて使いやすい。杉の割り箸は木肌が柔らかく口あたりがいい。花粉症とだけでなく、杉の木や香りとも末永くつきあっていくつもり。そう思っていたら、なんと朗報が。高齢になるほど花粉症の症状が軽くなる傾向がある、という記事を雑誌で発見。加齢により免疫力が衰えて、花粉に反応しづらくなるのだそうだ。
歳をとるのはマイナスばかりではない。スッキリした気分で春を過ごせる日は近いかも?!
2026 © Hoshino Tomoko


