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「新 鎌倉その日その日」

新 鎌倉その日その日
星野知子の


「呼吸ではじまる」
体力にはまあ自信がある。テレビの健康番組でよくある体力チェックの類いは、なんでも軽くクリアしていた。 よし、まだ若いね、と思っていたら、先日簡単な動きができなかった。椅子に腰掛け、片足を上げて、もう片方の足だけで立ち上がるというもの。右足ではスッと立てたが、左足だと力が入らず、ドッコイショとやっとだった。 筋肉がおとろえている……。これくらい少し前には苦労せずできたのに。 水泳にずっと通っているし、なるべく歩くようにして、それも早足でと鍛えていたつもりだったが、その程度では加齢の速度に追いつかなくなったということか。 女友だちの、それはもうスクワットが一番よ、との助言で、最近毎日やっている。 年齢に関係なく筋肉は努力すればつくのだそうだ。「筋肉は裏切らない」らしい。 筋トレは呼吸が大切。ゆっくり息を吸って、ゆっくり吐いて。ただ、黙々とストイックに励むのは苦手だ。なるべく優雅に歌うようにと心がけていたら、なぜかあのメロディが頭の中で聞こえてきた。 タラララッタラ~。ポパイのテーマ音楽だ。子どものころテレビで見ていた。水夫のポパイがたくましい宿敵ブル
2 日前読了時間: 5分


「星を仰げば」
冷えた夜に、歩きながら空を見上げる。 あ、こんなにくっきり星が出ていた、と気づいてしばし足を止める。 澄んでキーンと凍る冬の空。星座には詳しくないが、この季節、すぐにわかるのはオリオン座だ。目印は右肩上がりに並ぶ3つの星。ギリシャ神話の狩人オリオンの、ベルトの部分が3つ星だ。とはいっても、肉眼で見えるいくつかの星を結んでも、こん棒を振り上げる勇者の姿は浮かび上がってこない。 冬の星座は、他にふたご座、おうし座、いろいろあるが、実際の星座より雑誌の星占いのページのほうがおなじみかもしれない。私は天秤座だ。占いによれば、性格は公平で平衡感覚がよく、優柔不断なところが弱点らしい。合っているような、違っているような。でも気にはなる。星は人の運命をつかさどっていると信じられてきた。星を見上げていると、宇宙の営みの中、小さな地球でほんのひととき生きる私たちは、はかりしれない力に支配されていると思えてくる。 星座は5000年前の古代メソポタミアで、羊飼いたちが星を繋いで身近な動物に見立てたことが始まりとされている。宇宙という概念をもたず、光も音もない大地から眺
2月10日読了時間: 5分


「マナーアップ」
歩いて行ける範囲に神社がいくつもあるのは鎌倉ならでは。散歩がてらの初詣は毎年のことだ。お正月の境内は晴れ晴れとした「いい気」につつまれている。 昔は欲張っていくつもお願いをしたが、今は元気で新年を迎えられたことに感謝して、「家族が健康でありますように」「災害が起きませんように」と、手を合わせてお参りする。 小さな神社でも観光客は多く、年々増えているようだ。年初めに古都鎌倉を訪れたい気持ちは、わかる。 去年のお正月、境内の手水舎(ちょうずや)でひしゃくを持つ私の手を見ている視線に気がついた。東南アジアからだろうか、女性のグループだ。私が水を汲んで手を洗い、口をすすぐのを真似している。神妙な面持ちだ。「水は飲まないのよ」と身振りで教えるとニッコリうなづいた。日本の伝統的なしきたりを真摯に試みてくれるのはうれしい。一方で、手水舎に平気で手を突っ込む若者を発見。とっさに「それはダメ」と声が出てしまった。 観光客のマナーの悪さが目立っている。人が何倍にも増えると、マナー違反はそのまた倍になるのだろうか。 先日、駅の近くの海産物店で、レジの大きな張り紙が目に
2026年1月1日読了時間: 5分


「カラスミ作り」
そろそろお店に並んでいるかなあ、と鮮魚店のガラス戸を開ける。冬の海の幸は見るだけでも楽しい。カキにカニ、寒ブリ、アンコウ。どれも大好物だ。でも、私のお目当てはボラの子(卵)。11月から12月の短い間しか出回らないし、数も少ないから、見つけると即購入する。 毎年、手に入ればボラの子でカラスミを作る。へー、カラスミって素人でも作れるの? と驚かれるが、作れるのです。本格的ではないけれど、そこそこ美味に、いとも簡単にできちゃうのです。 カラスミ作り歴は長い。もう20年近く前からだ。最初は東京・築地の場外市場をブラブラしていたときのこと。午後2時過ぎで買い物客は少なく、どの店も片付けはじめていた。 「あの、ボラの子を買ってくれませんか?」 通りかかった鮮魚店からすがるような声が聞こえた。 ボラという魚の名前は知っていたが、ボラの子をどうやって食べるのだろう。煮物? 若い店員は関心を持った私の表情を見て、 「カラスミは好きですか?」 ときた。もちろん好きだ。ただ、めったに口にすることはない。特別なときにほんの1、2枚ありがたくいただく高級珍味だ。...
2025年12月20日読了時間: 5分


「ササリンドウ」
あら、こんなところにセーラームーンが——。足元で愛らしいアニメの主人公が笑っていた。 東京の麻布十番商店街入り口で、カラフルなマンホールの蓋を見つけた。1990年代に一世を風靡(ふうび)した「美少女戦士セーラームーン」。金髪をなびかせ得意のポーズで決めている。ポスターのように色鮮やかだから、踏むのは気が引ける。道行く人たちもマンホールをよけて歩いていた。 その土地に縁のあるキャラクターや名産品が描かれた「ご当地マンホール」が、今人気だ。地域の特徴を表し、宣伝にもなる。今年は大谷翔平選手のデザインマンホールが出身地の奥州市に設置されて話題になった。各地でお目当ての蓋を探したり、お気に入りのデザインを見つけたり、密かな町歩きの楽しみになっているようだ。 普段、気にとめずに歩いているが、マンホールは驚くほどたくさんある。自宅の玄関を出て100メートル足らずで25個を数えた。等間隔ではなく道のあちこちに散らばる丸い蓋は、美観をそこねているようで、アートにも見えてくる。蓋のデザインも様々だ。 鎌倉の絵柄で多いのは鎌倉市章のササリンドウだ。3つの花の下に5枚
2025年11月14日読了時間: 5分


「中秋の名月」
鎌倉・由比ヶ浜から見る中秋の名月(星野知子撮影) スーパームーンにブルームーン、ブラッドムーンも。最近よく耳にする満月の呼び名だ。スーパームーンは、軌道の関係で月が最も地球に近づいたときの大きな満月。ブルームーンは色ではなく、月に2回満月があることだそうだ。そして皆既月食で月が赤黒くなる現象がブラッドムーン。色も形も変化する月の神秘は、科学で解明された今もやはりミステリアスだ。 今年の中秋の名月は10月6日。澄んだ秋の空を昇る満月は格別だ。夜のニュースで「今日は中秋の名月です」と紹介されて、テレビ画面一杯にまん丸の月が映し出される。カメラレンズもテレビも性能がいいから、月はすぐ目の前にあるようにはっきり見える。岩石でできた複雑な地形も、クレーターのデコボコも。 きれいなんだけどね……、と私はベランダに出て、夜空を見上げる。そう、これが満月。はるか遠く、ぽってりあたたかい。年齢とともに私の目も悪くなっているから、多少おぼろに見えるくらいがちょうどいい。 鎌倉は月が美しい。都心から越してきて月をよく眺めるようになった。高い建物がなく山と海に囲まれた鎌
2025年10月19日読了時間: 5分


「米賛歌」
そういえば「えの田(でん)」はいつなくなったのだろう? 江ノ電の鎌倉駅、到着ホーム脇に小さな田んぼがあった。畳数枚くらいの大きさで、たしか古代米を作っていた。愛嬌のある案山子(かかし)が立っていて、電車から降りるたびに稲の成長を見るのが楽しみだった。刈り取った稲は天日干しで、鉄道会社の田んぼならでは、干し場が踏切の遮断棒でできていた。今は、一面雑草が生い茂っている。 「えの田」を思い出したのは、久しぶりに生まれ故郷の長岡に帰ったからだ。 八月の初め、新幹線で新潟県に入ると青々とした田んぼが広がっていた。早場米はもう新米が出回っているが、新潟の、それも山間部のコシヒカリの刈り入れは例年九月中旬から十月にかけて。田んぼが黄金色に波立つようになるのはもう少し先だ。 上越新幹線の車窓からの眺め。8月の新潟県魚沼地方 車窓からは瑞々しく見えるが、この夏は早くから猛暑が続き、長い水不足のあとに急激な大雨となった。米の出来が心配だ。稲穂がびっしり重く実をつけて収穫の時期を迎えてほしいと願っている。 米どころ新潟で生まれた私は、コシヒカリを食べて育った。今のよう
2025年9月20日読了時間: 5分


「うちわの風は」
この夏のはじまりは早かった。六月、梅雨の中休みかと思いきや夏日が続きそのまま真夏の暑さに突入。そしてどうやら残暑厳しく秋の訪れも遅そうだ。いやはや……。 出かけるときには覚悟が必要だ。麦わら帽子と水筒を持参するくらいでは心もとない。冷感マスク、冷感スプレー、冷感タオル……。ちまたには冷感グッズがたくさん並んでいる。 ネッククーラーを買ってみた。冷蔵庫で冷やして首につけるリングだ。太い血管が通っている首を冷やすと全身が涼しくなるという。一、二時間しか持たないが、熱中症になる不安は軽減される。なんだか犬の首輪みたいなので、麻のスカーフを上に巻いて出かけている。 ここ二、三年は携帯の扇風機ハンディファンを持つ若い女性が目につく。歩きながら顔に風を送る優れものだそうだが、熱風があたっているだけのようで本当に涼しいのかしら。ファッションのひとつでもあるようだ。 御成通りですれ違ったデート中の若者も使っていた。二十代前半らしき女性は日傘をさし、ブランドのバッグを手にしている。隣の男性はリュックを背負い、片手にハンディファン。腕を伸ばして風を送っているのは彼女
2025年8月17日読了時間: 5分


「花火と私」
数ある手持ち花火の中で何が好きかと聞かれたら、迷わず線香花火と答える。とはいっても、今は花火をする機会はなく、子どものころの思い出だ。 いつだったか国産の線香花火をいただいて、何十年ぶりに楽しんだ。ずいぶん品質がよくなっていた。橙色の火の玉はふっくら大きくて、飛び散る火花も豪華だ。こんなにきれいだったかしら。こんなに長持ちしたかしら。さすが国産、一時は廃(すた)れて製造されなくなっていたが、高級品として復活したのだという。 昔は、夏の夜に家の前でよく花火をした。ろうそくと水を張ったバケツを準備して、近所の人たちも集まってにぎやかだった。 花火セットからひとつずつ選び、次々に点火していく。棒の先から勢いよく火花が飛び出すススキや、地面をクルクル回るネズミ花火も好きだったが、いつも最後は線香花火だった。みんなで輪になってしゃがみ、一本ずつ手に持った。火をつけると、チリチリと火玉が大きくなっていく。息を止めて指先に集中するうち、小刻みに震える火玉から四方八方に花が咲きはじめる。パチパチパチ……、ひそやかで夢のように華やかだった。 線香花火を思い出すとき
2025年7月18日読了時間: 5分


「かたつむり」
でんでんむしむし、かたつむり、と歌っても、かたつむりは虫ではありません。貝の仲間。 梅雨時に、濡れた葉っぱをひっくり返す。ツノがきゅっとちぢんでコロンとした殻に身を隠す。子どものころは親しい遊び友だちみたいな存在だった。 私の家の中にはたくさんのかたつむりがいる。小さな置物、お皿やハンカチ、アクセサリー、絵、本も。赤ちゃんを乗せるかたつむりの木馬まである。 かたつむりの形のものをコレクションしてから四十五年以上になる。数えたことはないが、二百くらいはあると思う。 最初のひとつはハワイのホテルで買った。海の貝殻とガラスでできた小さな飾り物。ひと目ぼれだった。それから、国内外を旅行するたび記念に買って増えていった。不思議なもので、みやげもの店に入ると「あ、ここにはいる」と気配を感じる。引き寄せられるように店内を進むと、奥のショーウィンドウのかたつむりと目が合って、「私を買ってね」と言われているような気がする。 ただ、なんでもいいというわけではない。マンガっぽくないもの。美しいもの。高価ではないもの、と決めている。 イタリアの色鮮やかなベネチアガラス、
2025年6月21日読了時間: 5分


「竹の音」
晴れた日、和室の障子戸に竹の影が映る。隣の家との境に植えた布袋竹(ほていちく)だ。しなりながら揺れる枝や葉の影絵は、見ていて飽きない。サヤサヤ、サワサワ……。目で感じる風薫る季節だ。 竹は成長が早い。地面の玉砂利を押しのけてタケノコが出てくると、数日後には腰くらいの高さになっている。そうなる前、十センチくらいの時に見つけたら、ポキッと折ってキッチンへ。火で炙って皮を剥く。食べられるのは小指くらいの太さだが、コリコリした歯ごたえと風味がある。ちょっとうれしい。毎年二本か三本のごちそうだ。 ふだん私たちの食卓を彩るタケノコは、もっと太い孟宗竹(もうそうだけ)だ。青果店にはまず九州産から並び始める。タケノコ前線が北上して、地のタケノコが盛りになるのを待って買う。炊き込みご飯に土佐煮、若竹煮。姫皮もかき玉汁でいただいて、毎年季節を味わっている。 ここ数年で一番おいしかったのは、鎌倉のあるお寺で採れたタケノコ。思いがけずひとつおすそ分けしてもらった。手のひらに乗る大きさで、刺身で食べたら柔らかくて香りが強くて。それ以来、鎌倉のお寺で竹林を見るたび、ここにも
2025年5月21日読了時間: 5分


「原稿用紙愛」
ピッカピッカの、1年生! ずいぶん前に流行ったテレビCMだ。4月に真新しいランドセルを背負った子どもたちを見かけると、いつもこの歌を口ずさんでしまう。 最近はリュックの生徒も多いが、カバンの中には新しい教科書とノート、筆箱が入っているはず。国語に算数、道徳に音楽。1年生は未知の世界が待っている。 作文を書くのも小学生になってからだ。昔はいろいろあったなあ。夏休みの宿題の読書感想文、遠足の思い出。将来の夢。今の子どもたちも鉛筆を握りしめて書いているのだろうか。 私は作文が好きだったわけではないが、原稿用紙に字を埋めていくのは楽しかった。ひとマスずつ文字を入れて、段落を変えて、一枚書き終わると達成感があった。 原稿用紙には思い入れがある。35年前、初めて出版した本『濁流に乗って〜欲望の大河アマゾン』を書いたのは原稿用紙だった。テレビの紀行番組で訪れたアマゾンの旅を一冊の本にまとめたものだ。 私にとっては執筆というより作文を書くのと同じ作業。コクヨの400字詰め原稿用紙に鉛筆で書いては消しゴムで消し、苦労した。鉛筆の芯が減ると、小学生のときからずっと使
2025年4月21日読了時間: 5分
*ここに掲載したエッセイは、月刊『かまくら春秋』に収録され刊行・発売されている作品です。無断使用・転載・複製を禁じます。


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