top of page

星野知子の
新 鎌倉その日その日
キーワード


うちわの風は
この夏のはじまりは早かった。六月、梅雨の中休みかと思いきや夏日が続きそのまま真夏の暑さに突入。そしてどうやら残暑厳しく秋の訪れも遅そうだ。いやはや……。 出かけるときには覚悟が必要だ。麦わら帽子と水筒を持参するくらいでは心もとない。冷感マスク、冷感スプレー、冷感タオル……。ちまたには冷感グッズがたくさん並んでいる。 ネッククーラーを買ってみた。冷蔵庫で冷やして首につけるリングだ。太い血管が通っている首を冷やすと全身が涼しくなるという。一、二時間しか持たないが、熱中症になる不安は軽減される。なんだか犬の首輪みたいなので、麻のスカーフを上に巻いて出かけている。 ここ二、三年は携帯の扇風機ハンディファンを持つ若い女性が目につく。歩きながら顔に風を送る優れものだそうだが、熱風があたっているだけのようで本当に涼しいのかしら。ファッションのひとつでもあるようだ。 御成通りですれ違ったデート中の若者も使っていた。二十代前半らしき女性は日傘をさし、ブランドのバッグを手にしている。隣の男性はリュックを背負い、片手にハンディファン。腕を伸ばして風を送っているのは彼女
2025年8月17日読了時間: 5分


花火と私
数ある手持ち花火の中で何が好きかと聞かれたら、迷わず線香花火と答える。とはいっても、今は花火をする機会はなく、子どものころの思い出だ。 いつだったか国産の線香花火をいただいて、何十年ぶりに楽しんだ。ずいぶん品質がよくなっていた。橙色の火の玉はふっくら大きくて、飛び散る火花も豪華だ。こんなにきれいだったかしら。こんなに長持ちしたかしら。さすが国産、一時は廃(すた)れて製造されなくなっていたが、高級品として復活したのだという。 昔は、夏の夜に家の前でよく花火をした。ろうそくと水を張ったバケツを準備して、近所の人たちも集まってにぎやかだった。 花火セットからひとつずつ選び、次々に点火していく。棒の先から勢いよく火花が飛び出すススキや、地面をクルクル回るネズミ花火も好きだったが、いつも最後は線香花火だった。みんなで輪になってしゃがみ、一本ずつ手に持った。火をつけると、チリチリと火玉が大きくなっていく。息を止めて指先に集中するうち、小刻みに震える火玉から四方八方に花が咲きはじめる。パチパチパチ……、ひそやかで夢のように華やかだった。 線香花火を思い出すとき
2025年7月18日読了時間: 5分


かたつむり
でんでんむしむし、かたつむり、と歌っても、かたつむりは虫ではありません。貝の仲間。 梅雨時に、濡れた葉っぱをひっくり返す。ツノがきゅっとちぢんでコロンとした殻に身を隠す。子どものころは親しい遊び友だちみたいな存在だった。 私の家の中にはたくさんのかたつむりがいる。小さな置物、お皿やハンカチ、アクセサリー、絵、本も。赤ちゃんを乗せるかたつむりの木馬まである。 かたつむりの形のものをコレクションしてから四十五年以上になる。数えたことはないが、二百くらいはあると思う。 最初のひとつはハワイのホテルで買った。海の貝殻とガラスでできた小さな飾り物。ひと目ぼれだった。それから、国内外を旅行するたび記念に買って増えていった。不思議なもので、みやげもの店に入ると「あ、ここにはいる」と気配を感じる。引き寄せられるように店内を進むと、奥のショーウィンドウのかたつむりと目が合って、「私を買ってね」と言われているような気がする。 ただ、なんでもいいというわけではない。マンガっぽくないもの。美しいもの。高価ではないもの、と決めている。 イタリアの色鮮やかなベネチアガラス、
2025年6月21日読了時間: 5分


竹の音
晴れた日、和室の障子戸に竹の影が映る。隣の家との境に植えた布袋竹(ほていちく)だ。しなりながら揺れる枝や葉の影絵は、見ていて飽きない。サヤサヤ、サワサワ……。目で感じる風薫る季節だ。 竹は成長が早い。地面の玉砂利を押しのけてタケノコが出てくると、数日後には腰くらいの高さになっている。そうなる前、十センチくらいの時に見つけたら、ポキッと折ってキッチンへ。火で炙って皮を剥く。食べられるのは小指くらいの太さだが、コリコリした歯ごたえと風味がある。ちょっとうれしい。毎年二本か三本のごちそうだ。 ふだん私たちの食卓を彩るタケノコは、もっと太い孟宗竹(もうそうだけ)だ。青果店にはまず九州産から並び始める。タケノコ前線が北上して、地のタケノコが盛りになるのを待って買う。炊き込みご飯に土佐煮、若竹煮。姫皮もかき玉汁でいただいて、毎年季節を味わっている。 ここ数年で一番おいしかったのは、鎌倉のあるお寺で採れたタケノコ。思いがけずひとつおすそ分けしてもらった。手のひらに乗る大きさで、刺身で食べたら柔らかくて香りが強くて。それ以来、鎌倉のお寺で竹林を見るたび、ここにも
2025年5月21日読了時間: 5分


原稿用紙愛
ピッカピッカの、1年生! ずいぶん前に流行ったテレビCMだ。4月に真新しいランドセルを背負った子どもたちを見かけると、いつもこの歌を口ずさんでしまう。 最近はリュックの生徒も多いが、カバンの中には新しい教科書とノート、筆箱が入っているはず。国語に算数、道徳に音楽。1年生は未知の世界が待っている。 作文を書くのも小学生になってからだ。昔はいろいろあったなあ。夏休みの宿題の読書感想文、遠足の思い出。将来の夢。今の子どもたちも鉛筆を握りしめて書いているのだろうか。 私は作文が好きだったわけではないが、原稿用紙に字を埋めていくのは楽しかった。ひとマスずつ文字を入れて、段落を変えて、一枚書き終わると達成感があった。 原稿用紙には思い入れがある。35年前、初めて出版した本『濁流に乗って〜欲望の大河アマゾン』を書いたのは原稿用紙だった。テレビの紀行番組で訪れたアマゾンの旅を一冊の本にまとめたものだ。 私にとっては執筆というより作文を書くのと同じ作業。コクヨの400字詰め原稿用紙に鉛筆で書いては消しゴムで消し、苦労した。鉛筆の芯が減ると、小学生のときからずっと使
2025年4月21日読了時間: 5分


春の始動
啓蟄(けいちつ)という文字を見るとなんだかムズムズする。冬ごもりしていた虫たちがあたたかくなって土から這い出してくる季節。漢字で書くと虫へんのカエルやヘビもその仲間だ。もちろんあちこちで木の芽も顔を出す。やわらかな陽に誘われて、自然はムズムズモゾモゾにぎわってくる。 同じころ、私の鼻もムズムズしてくる。私の場合は花粉症だ。朝起きがけにくしゃみが続けて出ると、あー本格的に花粉症の季節到来か、とティッシュに手を伸ばす。今年の花粉は例年の1.5倍の量で飛散は早く始まったというから先が思いやられる。 でも、春の到来はうれしい。家のまわりではカエルもヘビも出てこないが、寒いうちはいなかったアリやダンゴムシが姿を見せると、お帰りなさいと声をかけたくなる。テントウムシやミツバチ、モンシロチョウも、ようこそ我が家へと出迎える。玄関前や狭い庭で生き物が動きはじめるのは、あたりまえのようだが癒やされる。 ただ、モンシロチョウには困っている。庭のプランターに植えたブロッコリーやルッコラに卵を産み付ける。葉っぱが穴だらけだ。無農薬だから青虫は安心して食べるんだなあ、とそ
2025年3月22日読了時間: 5分
*ここに掲載したエッセイは、月刊『かまくら春秋』に収録され刊行・発売されている作品です。無断使用・転載・複製を禁じます。


bottom of page


