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星野知子の
新 鎌倉その日その日
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ろうそくの火
ほんの10分ほどの燃焼時間。短いろうそくに火をつけて、仏壇の前で手を合わせる。あたたかい色の炎が息をするように揺らぐ。 火事が恐いので長いろうそくはあきらめ、火が消えるまで部屋を離れないようにしている。 以前、電池式の「揺らぐろうそく」なるものを買ってみた。よくできていて、本物の炎のように微妙に揺れる。これなら安全で一日中つけていられる、とよろこんだものの、結局使わなくなった。蝋(ろう)が減らないのも不自然だが、スイッチひとつであっけなく消えるのがむなしかった。 ろうそくの炎は最後を見届けたい。いつからか、火が消える瞬間を見るのが決まり事になっている。 ほとんど原型がなくなったろうそく。かすかに残った蝋がチラチラと最後の炎を見せて、フッと暗くなる。真鍮の燭台から一筋の煙が立ち上って、おしまいだ。 さよなら……。 誰に言うともなくつぶやいて、私は仏壇の前から立ち上がる。 両親とも他界した。祖父や祖母も思い出の中だ。 ろうそくの炎の揺らいでいる間は、父や母が私に何か伝えているのかな、と思ったりする。8月のお盆が近くなると、きっとお父さんはまだだろうけ
6 日前読了時間: 5分


鎌倉ハマグリ
湘南の海に初めて触れたと実感できたのは、たぶん地引き網漁をしたとき。もうずいぶん前、鎌倉暮らしが始まって間もないころだ。 タイやヒラメがザクザク捕れるかも。茅ヶ崎のサザンビーチでの地引き網漁に、夫と私は大きなクーラーボックスを2つ持参した。 綱引きのように大勢並んで太いロープをたぐり寄せていく。海釣りの経験もない私にはすべてが珍しかった。ふくらんでいる網が浜に上がってくるのを見て歓声をあげ、銀色の魚がピチピチ跳ねる様子に手をたたいた。 大漁だったのか不漁だったのか私にはわからなかったが、いくつもの大バケツが魚で一杯になった。お目当てのタイやヒラメは——、いなかった。小ぶりのきれいなアジばかりだ。 「何が捕れるかわからないのが地引き網よ」 アジが入ったバケツに氷を投げ込みながら漁師さんが言った。 潮焼けした顔、ぶかぶかのサロペットと首の手ぬぐいが決まってる。漁師さんたちはみんな威勢よくテキパキ動いていた。 海の中には無数の生命があって、漁師さんたちは私には見えない海の世界をよく知っているのだなあ、とこれまでとちがった思いで海を眺めた。 「さ、たくさ
5月20日読了時間: 5分


マナーアップ
歩いて行ける範囲に神社がいくつもあるのは鎌倉ならでは。散歩がてらの初詣は毎年のことだ。お正月の境内は晴れ晴れとした「いい気」につつまれている。 昔は欲張っていくつもお願いをしたが、今は元気で新年を迎えられたことに感謝して、「家族が健康でありますように」「災害が起きませんように」と、手を合わせてお参りする。 小さな神社でも観光客は多く、年々増えているようだ。年初めに古都鎌倉を訪れたい気持ちは、わかる。 去年のお正月、境内の手水舎(ちょうずや)でひしゃくを持つ私の手を見ている視線に気がついた。東南アジアからだろうか、女性のグループだ。私が水を汲んで手を洗い、口をすすぐのを真似している。神妙な面持ちだ。「水は飲まないのよ」と身振りで教えるとニッコリうなづいた。日本の伝統的なしきたりを真摯に試みてくれるのはうれしい。一方で、手水舎に平気で手を突っ込む若者を発見。とっさに「それはダメ」と声が出てしまった。 観光客のマナーの悪さが目立っている。人が何倍にも増えると、マナー違反はそのまた倍になるのだろうか。 先日、駅の近くの海産物店で、レジの大きな張り紙が目に
2026年1月1日読了時間: 5分


ササリンドウ
あら、こんなところにセーラームーンが——。足元で愛らしいアニメの主人公が笑っていた。 東京の麻布十番商店街入り口で、カラフルなマンホールの蓋を見つけた。1990年代に一世を風靡(ふうび)した「美少女戦士セーラームーン」。金髪をなびかせ得意のポーズで決めている。ポスターのように色鮮やかだから、踏むのは気が引ける。道行く人たちもマンホールをよけて歩いていた。 その土地に縁のあるキャラクターや名産品が描かれた「ご当地マンホール」が、今人気だ。地域の特徴を表し、宣伝にもなる。今年は大谷翔平選手のデザインマンホールが出身地の奥州市に設置されて話題になった。各地でお目当ての蓋を探したり、お気に入りのデザインを見つけたり、密かな町歩きの楽しみになっているようだ。 普段、気にとめずに歩いているが、マンホールは驚くほどたくさんある。自宅の玄関を出て100メートル足らずで25個を数えた。等間隔ではなく道のあちこちに散らばる丸い蓋は、美観をそこねているようで、アートにも見えてくる。蓋のデザインも様々だ。 鎌倉の絵柄で多いのは鎌倉市章のササリンドウだ。3つの花の下に5枚
2025年11月14日読了時間: 5分


中秋の名月
鎌倉・由比ヶ浜から見る中秋の名月(星野知子撮影) スーパームーンにブルームーン、ブラッドムーンも。最近よく耳にする満月の呼び名だ。スーパームーンは、軌道の関係で月が最も地球に近づいたときの大きな満月。ブルームーンは色ではなく、月に2回満月があることだそうだ。そして皆既月食で月が赤黒くなる現象がブラッドムーン。色も形も変化する月の神秘は、科学で解明された今もやはりミステリアスだ。 今年の中秋の名月は10月6日。澄んだ秋の空を昇る満月は格別だ。夜のニュースで「今日は中秋の名月です」と紹介されて、テレビ画面一杯にまん丸の月が映し出される。カメラレンズもテレビも性能がいいから、月はすぐ目の前にあるようにはっきり見える。岩石でできた複雑な地形も、クレーターのデコボコも。 きれいなんだけどね……、と私はベランダに出て、夜空を見上げる。そう、これが満月。はるか遠く、ぽってりあたたかい。年齢とともに私の目も悪くなっているから、多少おぼろに見えるくらいがちょうどいい。 鎌倉は月が美しい。都心から越してきて月をよく眺めるようになった。高い建物がなく山と海に囲まれた鎌
2025年10月19日読了時間: 5分


うちわの風は
この夏のはじまりは早かった。六月、梅雨の中休みかと思いきや夏日が続きそのまま真夏の暑さに突入。そしてどうやら残暑厳しく秋の訪れも遅そうだ。いやはや……。 出かけるときには覚悟が必要だ。麦わら帽子と水筒を持参するくらいでは心もとない。冷感マスク、冷感スプレー、冷感タオル……。ちまたには冷感グッズがたくさん並んでいる。 ネッククーラーを買ってみた。冷蔵庫で冷やして首につけるリングだ。太い血管が通っている首を冷やすと全身が涼しくなるという。一、二時間しか持たないが、熱中症になる不安は軽減される。なんだか犬の首輪みたいなので、麻のスカーフを上に巻いて出かけている。 ここ二、三年は携帯の扇風機ハンディファンを持つ若い女性が目につく。歩きながら顔に風を送る優れものだそうだが、熱風があたっているだけのようで本当に涼しいのかしら。ファッションのひとつでもあるようだ。 御成通りですれ違ったデート中の若者も使っていた。二十代前半らしき女性は日傘をさし、ブランドのバッグを手にしている。隣の男性はリュックを背負い、片手にハンディファン。腕を伸ばして風を送っているのは彼女
2025年8月17日読了時間: 5分


花火と私
数ある手持ち花火の中で何が好きかと聞かれたら、迷わず線香花火と答える。とはいっても、今は花火をする機会はなく、子どものころの思い出だ。 いつだったか国産の線香花火をいただいて、何十年ぶりに楽しんだ。ずいぶん品質がよくなっていた。橙色の火の玉はふっくら大きくて、飛び散る火花も豪華だ。こんなにきれいだったかしら。こんなに長持ちしたかしら。さすが国産、一時は廃(すた)れて製造されなくなっていたが、高級品として復活したのだという。 昔は、夏の夜に家の前でよく花火をした。ろうそくと水を張ったバケツを準備して、近所の人たちも集まってにぎやかだった。 花火セットからひとつずつ選び、次々に点火していく。棒の先から勢いよく火花が飛び出すススキや、地面をクルクル回るネズミ花火も好きだったが、いつも最後は線香花火だった。みんなで輪になってしゃがみ、一本ずつ手に持った。火をつけると、チリチリと火玉が大きくなっていく。息を止めて指先に集中するうち、小刻みに震える火玉から四方八方に花が咲きはじめる。パチパチパチ……、ひそやかで夢のように華やかだった。 線香花火を思い出すとき
2025年7月18日読了時間: 5分


若布とか海苔とか
夏の湘南もいいけれど、暮らしてみて思うのは、冬がすばらしい。キリリと冷たい風に青い空。日差しは強く、海は澄んだエメラルド色に変わる。その向こうに真っ白な富士山が眺められるのだから、思わず深呼吸。遠くに住む友人たちには冬に遊びに来てよ、といつも言っている。 ダウンにマフラー、しっかり日焼け止めクリームを塗って海辺を散歩する。サーファーやランナー。はしゃぐ子どもたち。尻尾をふって波を追いかけるイヌ。寒くても浜は元気だ。 2月になるとあちこちで見られるのが若布(わかめ)干しだ。浜に組んだ大きな干し場で、細長い若布が潮風になびいている。 ああ、今年もはじまりましたね。そろそろ若布のしゃぶしゃぶの季節、と思わずにんまりする。沸かした鍋のお湯にヌメヌメした黒い海藻を浸したとたん、目の覚めるような緑色になる。この瞬間、わかっていても毎年感動する。新緑を思わせる色は、もうすぐ来る春を感じてときめいてくる。 今では見なれている若布干しだが、鎌倉に引っ越してきたときは、「なに?あれは!」とかなり驚いた。砂浜に巨大な洗濯物干し場(?)が出現し、ぶら下がっているのは無数
2025年2月21日読了時間: 5分


干支のヘビの話
「いやあ、ヘビがいちばんむずかしいんですよ」 毎年干支の置物を送ってくれる陶芸家が言っていた。 12の動物のうちトラやウシ、タツは力みなぎる新年にふさわしい。かわいいウサギやネズミはおだやかで平和な気持ちになれる。ヘビは——、どちらのグループでもない。だいたい姿が決まっていない。のばせば長い棒状に、動けばくねくね、止まればとぐろを巻いたりする。どの形も作陶しづらいというか、焼き物だから鎌首をもたげたポーズだとポキッと折れるリスクも大きい。陶芸家泣かせなのだそうだ。 ヘビは12の動物のうちの真ん中、6番目にあたる。ね、うし、とら、う、と順番が決まったのは、説話によると、神様が「元日の朝、1番から12番目まで挨拶に来たものを1年交替で動物の大将にする」とお触れを出し、全国の動物たちが競争した結果だ。数え切れない動物の中で上位12に入るだけでもすごい。その強豪の中で6番目にゴールしたヘビは結構足(?)が速いわけだ。 この説話を知ったのは4、5才のころだ。私は子どものころよく風邪をひいたり扁桃腺が腫れたりして保育園を休んでいた。何日かぶりに登園すると運動
2025年1月21日読了時間: 5分


ホタル
初めてホタルを見たのは、7、8才だった。鮮明に覚えている。 私が生まれ育ったのは新潟県長岡市の中心部で、1965年(昭和40年)ころの街中の川はホタルが住めるような環境ではなかった。 夏休みになると、毎年母方の実家でしばらく過ごした。市内から車で30分も走れば田んぼが広がる。祖父の家は山間にあり、近くに雪解け水を運ぶ川が流れていた。 私はひと夏で真っ黒に日焼けした。オニヤンマを追いかけ、目の前をすり抜ける蛇に足がすくみ、近所の子から笹笛の吹き方を教わった。 昔は暑くてもうちわで涼をとるくらいだったが、川に面した部屋は川風が入ってきて涼しかった。私はそこで昼寝をするのが好きだった。 夜も窓は開けっぱなしだった。座敷に布団を敷いて蚊帳を張って寝た。 布団に入ったものの、まだ妹とおしゃべりをしていると、ホタルが1匹、部屋に迷い込んできた。ぽーっと光って消え、またぽーっと光る。 「お母さぁん、お父さぁん、おじいちゃん、おばあちゃん、ホタルがきた!」 蚊帳から飛び出して叫んだ。 ダメだよ大きな声を出しちゃ、ホタルがびっくりするから。そう言われて廊下に出てみ
2024年7月10日読了時間: 5分


雨傘
ムシムシ、ジメジメ、そろそろかなあという時期になると、スーパーやドラッグストアでは湿気対策グッズが山積みになる。梅雨入り間近。顆粒状の除湿剤や「水がたまったらおとりかえ」の容器タイプ、引き出し用のシートタイプ。様々な種類の商品は、東京の店よりずっと数が多い。みんな苦労しているのだ。 鎌倉は湿度が高いとは聞いていたが、これほどまでとは思っていなかった。海から入る潮風と、谷戸の湿気がこもりやすい地形のせいだろうか。引っ越してきたころ、梅雨の終わりに下駄箱を覗いて目を疑った。スニーカーにカビが生えている。大切なハイヒールも白いフワフワしたものが……。湿気に強い家作りをしてもらったが、それでも連日80パーセントを越える湿度には太刀打ちならず。その年以来、梅雨前に下駄箱やクロゼットを念入りに掃除して、湿気取りをあちこち大量に設置。準備万端整えて梅雨入りを待つことにしている。予報では、今年の梅雨入りは平年並みだが、梅雨明けは遅いという。湘南の住民の湿気との闘いは長くなりそうだ。 梅雨の日常は住んでいる人にしかわからないもの。紫陽花を見に訪れる人たちは、雨が降
2024年6月10日読了時間: 5分


お花見
できれば庭に桜が欲しいね。家を建てるときに話していたが、「桜は枝を広げるので相当広い土地がないと——」と庭の設計士さんにアドバイスされた。桜のためにも植えなくてよかった。 お向かいさんの桜の木を見ているとわかる。南向きの広い庭で、私たちが引っ越してきたときにはすでに大木だったが、それから15年経ってさらにひと回りもふた回りも成長した。 おおらかに四方に枝が伸びた分、年々花も華やかさを増している。うちの玄関を出ると、道を隔てて薄紅色のソメイヨシノが広がっているなんて最高だ。 出がけに旦那さんや奥さんに会うと毎年恒例の挨拶をかわす。 「今年も楽しませてもらってありがとうございます」 「いいえ、花びらが風でそちらにまで散ってすみません」 とんでもない。少しも気にならない。桜は咲いているときだけでなく、ハラハラと散っていく姿も、玄関前の石畳に無数の花びらが貼りついているのも、美しい。 お向かいさんの桜は、娘さんが生まれたときに植えたという。それから何十年も過ぎ、娘さんは結婚し、生まれた子どもさんたちもすっかり大きくなった。家族とともに年月を重ね、見事な
2024年4月10日読了時間: 5分


古民家
「どうぞ、靴のままでお上がりください」 古民家レストランの入り口でそう言われると、一瞬、躊躇する。 古い日本家屋を改装したカフェやレストランがブームで、鎌倉にもずいぶん増えた。その多くは靴を履いたままだ。私は心の中ですみません、とつぶやいて板張りの床にそっと足を乗せる。 先日長谷で年上のご夫婦とランチをご一緒したが、奥さんは私が玄関でとまどったのに気づいていた。 「わかりますよ、私も同じですから」 スパゲッティを食べながら、2人でそうそうと頷きあった。 古民家といってもたいていは昭和の建物。私にとっては生まれ育った家とたいして変わらないから、すぐに気持ちが切り替えられない。家に土足で入るのは火事の時か泥棒と決まっていた。 古民家レストランは洋風に改装していても昭和の暮らしが感じ取れる。畳を取り払ったフローリングのワンルーム。そこにテーブルや椅子が軽やかに置かれ広々と気持ちがいい。窓越しに眺める庭は和風のままで、よく手入れされている。照明や壁紙は変えても欄間や書院障子が残されていると、彫りと細工をいつもしげしげと眺めている。その家の人の趣味が表れて
2024年2月10日読了時間: 5分


鮮やかな新年
おせちの準備に大掃除、少しだけ断捨離もして。毎年のことながら年末は忙しい。ほっと落ち着くのは大晦日の午後になってからだ。 それほど頑張るわけではないが、「年の瀬」という言葉の切羽詰まった感じに追い立てられるように体を動かしたほうが、お正月のゆったりまったりした気分が際立ってくる。 鎌倉はお正月の準備に気合いが入る。引っ越してきて初めての年の瀬にうれしくなった。 クリスマス商戦が静かに過ぎて、町は26日から活気づく。お正月の食材や飾りが一斉に出回るのはどこでも変わらないが、昔ながらのお正月を迎える意気込みがある。和菓子屋で鏡餅を3合、5合、1升と各サイズで注文できる。立派な床の間に生けるような松や大輪の花が華やかに並んでいる。私にはとても新鮮だった。 玄関には何を飾ろうか。暮れも押し詰まってから、迷った。近所を気にして見ると、輪飾りを門の両脇にかけているお宅が多かった。細い松に藁の輪と紙垂だけのシンプルな飾り。真似をして、我が家も同じものにした。 そのしめ飾りやお花は、28日か30日に飾るということも鎌倉で知った。28日は末広がりで縁起がいい。29
2024年1月10日読了時間: 5分
*ここに掲載したエッセイは、月刊『かまくら春秋』に収録され刊行・発売されている作品です。無断使用・転載・複製を禁じます。


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